前回では資本論を語る上で重要になる、商品と価値についてまとめていきました。
商品とは使用価値と価値があってこそ商品と言えることを、ものの交換や労働の量の説明とともに明らかにしました。
今回はその使用価値と価値を表す“貨幣”についての話です。
なぜ全ての商品は貨幣と交換できるのか…。
マルクスが苦心した貨幣という存在を、資本論的に解き明かしていきます。
まず貨幣の話に入る前に商品が持つ二つの形態から触れていきます。
自然形態と価値形態
商品には“自然形態”と“価値形態”という二重の姿をもつとマルクスは言いました。
自然形態はお米やご飯など目に見えてわかる具体的な姿。
価値形態は文字通り商品の価値を表す姿です。
この価値形態というのは商品を見ていても分かりません。
不思議なことに、他の商品との関係を持つことで現れてくるのです。
商品がもつ社会性
ある商品は価値は別の商品の価値で表されます。
例えばお米10kgと服一着を交換するとします。
このときお米10kgの価値は服一着で表すことができます。
このお米の価値はたまたま服で表現しているに過ぎません。
お米10kg=靴一足かもしれません。
お米10kg=小麦20kgかもしれません。
お米10kg=鉄500gかもしれません。
一度でも何かと交換しようとした瞬間に商品と商品の関係が広まり、価値形態が現れるのです。
労働の量=価値の再確認
これらはそれぞれの使用価値が違う場合に起こります。
(使用価値=どんなことに役立つか)
それぞれの使用価値は違いますが、どれも“作り出すために労働をした”という部分では共通しています。
ここで思い出してください。
前回の記事にて“価値は労働の量である”と言いました。
正確には労働の質は使用価値を、労働に使ったエネルギーは価値(交換価値)を生み、それをまとめて労働の量であると…。
交換される前のものは単なる役立つものです。
面白いことに、交換が起こると自分から見た片方の商品は使用価値の塊となり手元に、もう片方は価値(交換価値)の塊となって離れていきます。
商品を交換するという行為には、価値という概念が生まれ無限の旅に出るのです。
貨幣で計られる商品
さてここから貨幣の話に入っていきます。
先ほどまでの間で、10kgのお米が他の商品と交換をしようとした瞬間に、服一着にも靴一足にも小麦20kgにも鉄500gにもなり得るという話をしました。
そしてこの価値は交換によって旅をすることも…。
お米の価値は使用価値が違うものなら何でも表すことができます。
逆を言えばその価値を“共通して表す何か”があれば良いとマルクスは考えました。
そうです、その何かが“貨幣”なのです。
見えなくなる労働
貨幣の登場によって労働と価値の関係は大きく変わったとマルクスは言います。
彼は机を例にして貨幣と商品の価値の関係を述べました。
誰が見ても机は机です。
しかし現代(マルクスが生きた時代も含め)で商品として見たとき、机には価格がつけられ貨幣によってやり取りされるようになっています。
貨幣と商品が結びつくことによって、それまでにはなかった不思議な現象が起こります。
貨幣で計るようになった机には使用価値の他に何が分かるようになったでしょうか。
大きな利点としては、値段が付けられたことによって同じ値段の商品と等しい価値があることが分かるようになりました。
しかし本来、価値というのは作り手がどれだけ額に汗をかいて生み出したかという点だったはずです。
商品を貨幣で計るようになると、商品の裏にある人間の労働が気にならなくなってしまうのです。
人々は「この商品はいくら?」という部分にばかり感心がいくようになってしまう…とマルクスは言いました。
このような状況から彼は、“商品に値段分の価値がある”と思い込むことを物神礼拝的性質(フェティシズム)と呼びました。
(物神礼拝的性質は覚えなくても問題ないです。)
まとめ
・商品には自然形態と価値形態がある
・特に価値形態は商品が持つ社会性の中で生まれる
・その社会性の中では米の価値は服に、靴に、麦に、鉄の価値もなる
・その価値を共通して表したのが貨幣
・しかし貨幣によって価値に裏付けられた労働が見えなくなる
ここまで商品と貨幣についてまとめました。
商品に値段が付けられるというのは分かりやすくて便利なことですね。
一目見ただけで、あの商品は値段が高いとか安いとかを判断することができます。
しかし値段が高いというだけでは商品の本来の価値は分かりません。
ショーケースに飾られている高級な服は本当にその値段の価値があるのか…。
謎の優越感に浸るためだけに値段の高いものを買っていないか…。
商品を見るときには、裏にある労働を考えてみると無駄遣いが減るかも知れませんね。
さて、ここまでで貨幣と商品の関係は区切りです。
次回は、“貨幣になった金属”についてまとめていきます。
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