開戦以来、プロイセン軍(ドイツ同盟軍)優勢で進む普仏戦争。
中でもこの戦争の勝敗を決定づけたのは、フランス領内のセダン(スダン)で起こったセダンの戦いです。
セダンの戦い
仲間の軍を助けに行くぞ!
ナポレオン三世率いるフランス軍主力部隊は、メス要塞にてプロイセン軍に包囲されているライン軍を助けるべく救援に向かいます。
しかしこの動きをモルトケに察知されたフランス軍。
メスに到着する前にプロイセン軍に迎撃され、メスから離れたセダン要塞で体制を立て直すことに…。
結局、籠城したセダン要塞もプロイセン軍に包囲され、騎兵隊の決死の突撃も虚しく身動きが取れない状況になってしまいます。
包囲したプロイセン近衛軍の中には、国王ヴィルヘルム一世、鉄血宰相ビスマルク、参謀総長モルトケというプロイセンのとんでもない奴らが顔を揃えていました。
ナポレオン三世、捕虜になる
捕まった…(絶望)
セダン要塞が包囲された翌日、フランス軍は降伏。
ビスマルクはフランス軍主力のみならず、ナポレオン三世までをも捕虜にするという大戦果を挙げました。
荒れに荒れるフランス国内
講和条件が呑めないのならパリを包囲する。
ナポレオンが捕虜になったことにより、フランス帝国内の内政がクーデターによって打倒されてしまいます。
クーデター後にできた臨時のフランス国防政府は、プロイセン側の講和条件を無視し徹底抗戦する意向を固めます。
これを受けプロイセン軍はパリ包囲を決行。
パリを包囲された臨時新政府が気球に乗って逃げ、フランス各地に徹底抗戦を呼びかけたことにより余計に戦争がさらに長引くことになりました。
ドイツ統一
とはいっても、どうあがいても臨時政府による非正規軍がプロイセン軍に勝てるわけがありません。
4か月のパリ包囲の末、臨時政府は降伏。
敗戦の代償として、アルザス・ロレーヌ地方の割譲と賠償金を支払うことになりました。
そしてこのパリ包囲の真っ最中に、フランスのヴェルサイユ宮殿鏡の間にて、ドイツ統一を宣言、ここにドイツ帝国が成立したのです。
まだ続く鉄血宰相
ドイツ帝国の維持のために…
ドイツ帝国成立後もビスマルクは安心できる状況にはありませんでした。
フランスをも下す程の強大な国家が生まれるということは、ヨーロッパのパワーバランスが崩れることを意味します。
ドイツ帝国を危険視したロシア、オーストリア、イギリス(もちろんフランスも)など周辺各国がいつ牙を剥いてくるか分かりません。
そこでビスマルクは、各国の領地争いの仲介人になったり、公平公正な立場で判断するマネジャー的な役割を敢えて担うことで、
・ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国で三帝同盟を結んだり・オーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国、ドイツ帝国で三国同盟を結んだり・オーストリア=ハンガリー帝国、ルーマニア王国の同盟に参加したり・ロシア帝国と補償条約を締結し直したり
…
各国と同盟を結び、他国が無暗に手出しができないような安全保障条約の壁を築いていったのです。
各国の情勢と軍事力、国力など周辺諸国のパワーバランスを知り尽くした、ビスマルクだからこそできた多重同盟ですね。
ドイツ統一に人生を捧げたビスマルクは、ヴィルヘルム一世の崩御の後、ヴィルヘルム二世に仕えていましたがそりが合わず引退。
波乱万丈だった宰相人生に幕を閉じることになりました。
ドイツ帝国のその後
ビスマルクの政策はもう古い!時代は領土拡大だ!
鉄血宰相なきドイツ帝国は、ビスマルクが打ち出していた協調路線を放棄し、領土拡大へと足を進めていきます。
この行動が各国に不安の種をまいたことで、各国からドイツ包囲網を作られることになるのはまた別の話…。
ビスマルクはヴィルヘルム二世の方針転換をみて、ドイツ帝国の崩壊を示唆するような言葉を残して死んでいったそうです。
その後は皆さん知っての通り、第一次世界大戦、世界恐慌、ファシストの台頭、第二次世界大戦…。
国家が崩壊するやも知れぬ荒波に揉まれたものの、ドイツは今でも立派な国家として世界に座しています。
~Fin~
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