の続き…。
鉄血政策~憲法の不備~
軍備を拡張せよ!
保守派で政治的にも有能なビスマルク。
ヴィルヘルム国王の意向を受け、本格的に軍備拡張路線へ舵を切っていきます。
軍拡に反対する自由主義派を相手に鉄血政策が炸裂していくのです。
憲法には書いてないからなぁ。
予算決議にてビスマルクが掲げる軍制改革、軍備拡張案は真っ向から否決されます。
しかしビスマルクは強引にも予算を執行することができました。
理由は、当時のプロイセン憲法の不備によるものでした。
プロイセン憲法では、
~予算成立には国王と議会の同意が必要である~
と予算が成立した場合のルールが決められていました。
では予算が成立しなかった場合のルールは…?
実はプロイセン憲法には、予算が成立しなかった場合の取り決めが明記されておらず、国王の承認を得ていれば、予算の執行をしても憲法違反として罰することができなかったのです。
もちろんビスマルク推しのヴィルヘルム一世は、国庫から軍備拡張への資金運用を承認しました。
鉄血政策~民衆を国王の味方に~
社会保障を充実させて国民の支持を得る。
自由主義派はあらゆる手段を使ってビスマルクを宰相の座から引きずり降ろそうとしますが、支持率は低下し弱体化していくのは自分達の方…。
理由は、ビスマルクが導入した「普通選挙」にありました。
保守的な農民や労働者たちに、これまでは与えられることが無かった政府に対しての発言権を与えることで、国王への支持が集まっていったのです。
また、半ば独裁的な政治をする一方、医療保険や災害保険など社会保障も充実させることで、国民の支持を仰いでいきました。
鉄血政策~鉄の力~
ビスマルクが特に力を入れたのが、工業化による国力増大でした。
この時期に多くの鉄道網が敷かれ、軍需産業がみるみる発展していきました。
これらの鉄道網の運搬技術や製鉄技術が、後に多大な戦略的価値を生み出していきます。(これはまた後程…。)
オーストリアとの対立激化
プロイセンとオーストリアに組まれるとマズい。
ドイツとデンマークの間の地域である、シュレスヴィヒ=ホルシュタインを巡って、プロイセンとオーストリアが共同での管理を行う取り決めがありました。
これを危惧したフランス皇帝ナポレオン三世は、二国が手を組むことを恐れ、敵対心をあらわにするようになります。
これを察知したビスマルクはナポレオンに対し、
この取り決めは形式的なものなので、すぐにオーストリアと対立するでしょう。
と言いました。
オーストリアとの対立を示唆していたプロイセンは、1866年のフランクフルトドイツ連邦議会においてこう発言しました。
ドイツ連邦からオーストリアを除外する。
ここでも鉄血外交炸裂。
何と議長国であるオーストリアをドイツ統一リストから外し、小ドイツ案を強行する旨の発言をしたのです。
もちろんこれにはオーストリアも激怒。
同年(1866年)、プロイセンVSオーストリアによる普墺戦争が始まったのです。
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