王への不満が憲法の始まり~マグナ・カルタ~

歴史
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1214年、イングランド王のジョンは、フランス王のフィリップ二世との戦いに敗れました。(ブーヴィーヌの戦いより↓)

ジョン王は帰国すると、王室財政を再建するために貴族たちに重税を課しました。

これに貴族たちは猛反発。

1215年夏にはロンドンを陥落させ、王が支配する領地の一部を制圧してしまいました。

これに対し、ジョン王は和解の場を設けました。

テムズ川の湖畔の牧草地であるラミニードにて協議が行われ、結果基本的な自由が保障されることになりました。

マグナ・カルタ

マグナ・カルタの原文

その内容はマグナ・カルタと呼ばれる布告文にまとめられました。

 

布告文は概ね以下のような内容になります。

 

①教会に介入しないこと

②不必要な税金、負担金を課さないこと

③裁判を公正に実施すること

④都市、商業の特権に関する規定

⑤地方官の職権乱用防止

⑥狩猟に関する規制緩和

⑦人質の返還、対応

⑧上記のルールを順守するために監視委員会を設けること

6月19日、マグナ・カルタに御璽(ぎょじ:皇帝などが公式に用いる印)が押され、国中で読み上げられることになりました。

 

マグナ・カルタはジョン王だけでなく、以後の国王に続く子々孫々まで従わなくてはなりませんでした。

 

「何人も正当な手続きなく投獄してはならない」ことや、「一般合意なしに課税をしてはならない」ことなど、今までの独裁的な政策に対抗する条文が記されたり、「何人も自由を損なってはならない」など、現在に続く人権についても明記されています。

 

復活したマグナ・カルタ

インノケンティウス三世

公布した年の8月には、教皇インノケンティウス三世によって無効にされましたが、1217年に再公布されました。

 

しかし再公布されたときには、法的重要な文書とはみなされていませんでした。

 

マグナ・カルタの重要性を見出したのは、更に時が経った17世紀。

 

議会指導者エドワード・クックによって、マグナ・カルタの考え方が世間に再認知されることになり、今の憲法の考え方に繋がっていきます。

 

後に、アメリカ植民地の住民が独立を求めて戦う際の精神的な支えになり、戦いの原動力となりえる存在になりました。

エドワード・クック(コーク)

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