日曜日は県民の日だったこともあり、隣町(矢板市)にある郷土の偉人“矢板武記念館”に行ってきました。
地元の学生が小学校に入ると、矢板武と印南丈作の名と共に栃木県開墾の歴史を学びます。
【矢板武について】
矢板武は、明治期のあらゆる分野において、矢板を軸とした栃木県北地域に多大なる功績を残した郷土の偉人です。活躍した分野は多岐に渡り、政治面はもちろん、経済界では日本の大動脈のひとつである国道4号や現在のJR宇都宮線(東北本線)の開通、地元銀行の設立から経営まで陣頭指揮をとり、その手腕を発揮しています。
その活躍は経済界にとどまらず、学校建設・整備に世界遺産である日光東照宮やその周辺の育成・保存、下野新聞社取締役会長も務め上げました。さまざまな偉業を成し遂げた矢板武ですが、中でも「那須野が原の開拓」は、矢板武抜きにして語ることはできません。福島県の安積疏水・滋賀県の琵琶湖疏水と並ぶ日本三大疏水の一つ「那須疏水」を交友のあった印南丈作とともに構築しました。
矢板市WEBサイトから引用
そんな矢板武旧宅が 保存されている記念館を訪れました。
矢板武記念館
記念館の入口。
この日は県民の日なので無料で入ることができました。
特に何の確認もなかったので、多分県民じゃなくても無料で入れます。
門をくぐると、銅像とその奥に旧矢板武宅の玄関口が見えます。
玄関から入るのが正規の順路なようです。
囲炉裏や瓦など、生家の様子や当時の生活が見てとれます。
少し進むと開墾に当たる各資料が出てきます。
開墾にあたっての証書や書物、その様子を書き残したものです。
三条実美は、尊皇攘夷派の公卿(公家の中でも太政官の最高幹部で、国政を担う役職)として活躍した人物です。
その三条実美と維新三傑のひとり大久保利通が打ったとされる碁盤と碁石です。
↓解説
品川弥二郎は、山縣有朋、伊藤博文らと同じ松下村塾の門下生ですね。
尊皇攘夷運動に奔走し、松方内閣では内務大臣を務めた人物です。
当時の陶器製のトイレです。
メダルや秤など矢板武の私物などが展示されています。
矢板武の肖像画。
仏間です。
矢板武の召し物などが置いてあります。
矢板市の資料がある間です。
矢板市の歴史や、地元に伝わる昔話などの本がありました。
最後は一通り見て回り、縁側で鳥などを見ながらゆっくりしていたら閉館になりました。
天気も良かったので危うく眠りそうでした。
見学終わり
矢板武は、山縣有朋、品川弥二郎、渋沢栄一、勝海舟らと交流があったことをここで初めて知りました。
国のために名を残した人物たちとはまた別の戦いがあったことが分かりました。
話は少し逸れますが、近くにかつての陸軍大将乃木希典を祀る乃木神社があります。
日露戦争辺りのややこしい勉強をするところで乃木神社との関連を話すと興味を持って聞いてくれる場合が多かったりします。
明治前後の政治の話もこういった身近で知っている人の話が出てきたら、もっと目を向けるようになるかもしれません。
今後の塾の学習の教材のネタとしても上手く使えそうな経験でした。
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