教育文学

心から習いたいと思っていることを自由に学ぶようであってほしい。~エミールより~

教育

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この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。

     

“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。

      

またそれらの言葉がこの本の要約にもなるようまとめていきます!

  

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778年)

 

           

「私たちは人に喜ばれる才能をあまりにも技術的なことにしてしまっている。」

私たちは人に喜ばれる才能をあまりにも技術的なことにしてしまっている。

 

それを一般化しすぎている。

 

何もかも規則ずくめにして、幼い人にとってもともと楽しみごと、陽気な遊びに過ぎないことを、ひどく退屈なことにしてしまっている。

 

歳をとったダンスの先生が、それとも音楽の先生が、なににつけても笑いたくなるような幼い人のところへ、しかつめらしい様子でやってきて、たわいない知識を与えるために、教理問答を教えるときよりもっと衒学(げんがく)的でもったいぶった口調で話をする。 

 

そういった情景よりも滑稽なことを思い浮かべることはできない。

  

(※衒学=学問の知識を得意そうに見せること。)

     

       

「同じ方法がどんな人にも当てはまるだろうか。」

歌を歌う技術にはどうしても楽譜が必要なのだろうか。

 

音符など全然知らなくても、音声を滑らかに、正確にしたり、上手に歌うこと、さらに、伴奏をすることさえも、学んだりすることができるのではなかろうか。

 

同じ種類の歌がどんな声でも上手く歌えるだろうか。

 

同じ方法がどんな人にも当てはまるだろうか。

 

同じ姿勢、同じ足取、同じ動作、同じ身振り、同じ踊りが、小柄な褐色の髪の女にも、悩まし気な目をした大柄な金髪の美女にも、どちらにもふさわしいなどとは、人が何と言おうと、私にはとても信じられない。

 

だから、そういう二人に先生が正確に同じ教え方をしているのを見たとしたら、この人は型どおりにやっているが、自分の芸術について何も知らないのだ、と私は言おう。

  

   

「心から習いたいと思っていることを自由に学ぶようであってほしい。」

少女たちには、男の先生でもいいか、それとも女の先生をつけたほうがいいか、と人はたずねる。

 

私は分からない。

 

少女たちは男の先生も女の先生も必要としないようであってほしい。

 

心から習いたいと思っていることを自由に学ぶようであってほしい。

    

         

まとめ

今回は一定の基準によって決められた学びが、本当に良いものなのかについて言及した文ですね。

 

現在の学校教育でも、テストによる順位付けや画一された授業形態など、結局は皆がやっていることを皆が真似ているという現状についての議論は絶えません。

 

これについての自分の考えは、学校に行くことによって最低限の学力が身につけられるのと同時に、先生や友達との人間関係についての学びがあるので悪いものだとは考えていません。

 

10年近く塾講師として周辺の学校状況を見ている限り、どの学校も決められた課題を必ずこなすというかつての方針ではなくなっているようです。

 

必要な問題を用意した上で、生徒に選択させ自主性を重んじるようになってきています。

 

この延長上には、子がやりたいことを見つけることができるようになる意識を芽生えさせることができるかもしれませんね。

 

ルソーのいた時代では子の教育と言ったら、“大人がやることをしっかりできるようにすること”を目的とする場合が多かったです。

 

そんな中ルソーは、子どもが何に興味をもって何を学びたいのかを重視することの大切さに気づいていたのですね。

 

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