前回記事
この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つかもしれない言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
またそれらの言葉がこの本の要約にもなるので、よろしければ参考までにどうぞ!
「本当の価値を与えられる人は、決して余計なことは言わない。」
エミールはあまりにも多くのことを教えられているからお喋りには決してなれない。
うるさいお喋りは、才能を自惚れること、もしくは、つまらないことに価値を与えて、愚かにも、他人も自分と同じようにそれを重視していると考えること、このどちらかから必然的に生まれてくる。
物事を良く十分に良く知っていて、すべてのものにその本当の価値を与えることができる人は、決して余計なことは言わない。
一般的に、わずかなことしか知らない人は多くのことを語り、多くのことを知っている人はわずかなことしか語らない。
無知な人間は自分が知っていることを何でも重要だと思い、誰にでもそれを話す。
「エミールは、他人のやり方にぶつかっていくようなことはしない。」
エミールは、他人のやり方にぶつかっていくようなことはしない。
なるべく他人と調子を合わせるようにしている。
しきたりを良く知っているように見せかけためではなく、洗練された人間らしい様子を見せるためでもない。
ただ、他人と違った人間と思われることを恐れている。
人が彼にかまわないでいる時ほど、彼が気楽になれる時間はないのだ。
「他人を良く観察し、他人のやり方を理解する。」
世間に出ても、彼は世間の流儀を全く知らない。
だからと言って小心にも臆病にもならない。
人目を避けることはあるだろうが、それは困ることがあるからではなく、他人を良く見るためだ。
人を良く観察するには、人から見えないところにいる必要があるのだ。
(中略)
人が見ていようと見ていまいと、自分のすることをできるだけ上手くやり、他人をよく観察することに打ち込んでいて、臆見の奴隷には見られない余裕ある態度で他人のやり方を理解する。
まとめ
今回はルソーが考える他人との関わり方についての話でしたね!
「エミールは、他人のやり方にぶつかっていくようなことはしない。」
という言葉にすごく共感します。
他人やり方にケチをつけたり、特定の考えを持っている誰かを論破するのはドーパンミンが出るほど気持ちが良いと言われていますが、不要な対立を生み、次は自分が矢面に晒されるかもしれない危険性も孕んでいます。
それよりは、いちいち口を出して相手を刺激するのではなく、他人を観察して自分の戒めとして行動する方が賢い行動であると考えます。
次回記事
おすすめ本
コメント