アメリカ建国の父と言われたベンジャミン・フランクリン(1706~1790年)。
貧しい家の生まれにも関わらず、印刷業での成功から図書館の建造、科学の研究や社会活動など活躍の場を惜しまなかった人物です。
今回は、そんなフランクリンの功績の中のひとつ、雷と電気の実験について見ていこうと思います。
ベンジャミン・フランクリンの生い立ち
1706年、アメリカのボストンに生まれたベンジャミン・フランクリン。
父はジョサイア・フランクリンで、彼の17人の子供内の15番目です。
家柄は貧しく、学校には2年ほどしか通っていません。
12歳になると、出版業を営んでいた兄のジェームズの下に弟子として働き始めます。
その際、印刷所の本を読むことを許され、様々な知識を身につけていきました。
24歳になると自ら印刷業を営み、イギリスで大成功を収めます。
その後はアメリカ初の公共図書館やアメリカ学術協会を設立したりと、多方面で成果を挙げていました。
雷と電気
1752年、フランクリンがフィラデルフィアアカデミー(現在のペンシルバニア大学)を創設した頃と同時期、ある研究に没頭し始めます。
雷の正体を突き止めようと考えたのです。
古代ギリシャ時代から、摩擦によって静電気が起こることは知られていましたが、雷とは別の現象であると考えられてきました。
ドイツの科学者ゲーリケが摩擦起電機を発明すると、同様の装置を使って火花を散らすパフォーマンスが人気を博します。
中でも注目されたものが、オランダのライデン大学で考案されたライデン瓶です。
冬場に金属製のドアノブを触ると、バチっと静電気がくる仕組みとほぼ一緒で、電気を溜めて人為的に感電を起こすことができる装置です。
フランクリンはこのライデン瓶を熱心に研究し、電気のプラス、マイナスの概念や先の尖ったものへの放電現象などを発見していきます。
研究を進めていくと、光る、青白い、金属に伝わる、発火させるなど電気と雷には共通の性質が多いことが分かり、「この二つは同一のものではないか?」と考えるようになっていきました。
~凧の実験~
雷を瓶に直接溜めることができれば…。
それまでの研究結果を踏まえ、「雷雲に尖った金属棒を立て、放電による帯電が起こった金属棒から電気を取り出すことができる」と論文をまとめ王立協会へ提出しますが、内容が突飛だったため突き返されてしまいます。
翌年、同じ内容の論文がイギリスとフランスで出版されると、フランクリンの考えを立証しようとあちこちで電気と雷の実験が行われます。
フランクリン自身も実証実験を行いましたが、彼が挑んだのは死をもいとわない命知らずな実験でした。
実験は雷雲立ち込める雨の中で行われました。
彼は雷雨の中に針金を取り付けた凧を飛ばし、落ちる雷を採取しようとしたのです。
凧糸の途中には金属でできた鍵を取り付け、そこからライデン瓶に雷を溜めることができる装置を作って実験をしました。(手元部分だけは天然の絶縁体で知られる“シルク”に変えてある)
この実験で運よく雷を得ることができたフランクリンは、摩擦による電気と同じ性質をもつことを確認することができました。
※後の研究者が同様の方法で追試実験に挑み感電死しています。フランクリンが死ななかったのは単に運がよかっただけです。
この実験の後、フランクリンの実験は19世紀の科学者に引き継がれ、電磁気学として飛躍的に発展していきます。
今までパフォーマンスとして見られていた電気を、科学で解き明かそうとしたフランクリン。
現在ではバッテリー(電池)やチャージャー(充電器)、コンダクター(導体)やコンデンサー(蓄電器)などに応用され、使い続けられています。
彼の功績のほんの一部ではありましたが、今回紹介させていただきました。
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