(前回記事↑)
前回の資本論では、資本の増大がもたらす影響についてまとめていきました。
競争に勝った資本家の力は大きくなり、小さな資本家を飲み込んでいく……。
労働者は自分達の労働によって剰余価値を増やすも、その剰余価値は労働者ではなく設備などに使われる……。
その結果、使い捨てのような労働者が増えてしまうという悪循環に陥ってしまうことをマルクスは指摘していました。
今回はそんな資本を持たざる労働者にフォーカスしてまとめていきます。
もたざる者はなぜその状態を抜け出せないのか……。
まずは彼らを縛り付けている環境から見ていきます。
縛り付けられる労働者(単純労働者)
マルクスの時代、資本を効率良く増やすには、従順で賃金が安くて済む子どもの労働者を多く必要としました。
彼らは誰でもできる単純労働をひたすらに続けますが、一定の年齢に達すると解雇される運命にあります。
幼い頃から同じ場所で単純作業しかできなかった労働者は、一体何のスキルを持っているでしょう。
彼らは一つの分野に縛り付けられたことで、ある特定の作業しかできません。
運が良ければ発展した同じ分野で労働力が必要な場合に限り、仕事を貰えるかもしれません。
ほとんどの場合、学び方を知らない彼らは新しい分野に入り込むことができずに、安い賃金で働く場所を探すしかないのです。
このように当時の資本主義社会の影響によって、生き方を半強制的に縛られた労働者は他にもいます。
それまで工業とは無関係だった農耕労働者たちです。
縛り付けられる労働者(農耕労働者)
マルクスは、もともと農村にいて都市へ出て労働しようとしている者たちを“潜在的な失業者”と言いました。
農耕労働者たちはかつてはある程度豊かな暮らしをしていました。
資本家の登場によって農業に機械が導入されるようになると、農業に必要な人手は減っていきます。
農地で働くことができなくなった彼らは、単純労働者として都市部へ出ていくことになります。
都市部へ出た彼らの多くは、単純労働者として資本家の搾取対象となり、その分野に縛り付けられることになります。
またマルクスは、1866年に起きた経済恐慌までの20年間を統計的に分析しています。
経済恐慌による巨大銀行の倒産や、それを原因とする企業の相次ぐ倒産。
機械の設計や大きな農地の所有者など、労働者の中でも裕福だった者たちでさえ一気に貧困層へと転落しました。
農耕労働者や機械を資本として持っていた資本家たちも次々と農地を売払い、本来そこで働くはずだった農耕労働者さえも失業者として数えなければならなくなったのです。
資本主義的蓄積の法則
単純労働者も農耕労働者も資本主義社会に束縛される運命にある事が分かりました。
・資本主義的な富が増えれば増えるほど、労働者の苦労は増える
↓
・それに応じて、産業予備軍も増える
(産業予備軍=資本に依存しなければ生きていけない労働者たち)
↓
・それに応じて、より多くの失業者が増える
↓
・それに応じて、より多くの貧民が増える
経済は成長しているのに貧困の格差が広がるこのサイクルを、マルクスは“資本主義的な蓄積の一般法則”と言っています。
彼は尚も労働者の状態は悪化すると言います。
理由は、労働者が生産手段を使うのではなく、生産手段が労働者を使うようになるからです。
資本の蓄積は生産手段の割合を増し、生産力を高めます。
しかしその割合が増すスピードは労働人口の増加を常に上回るペースで増えていくからであると彼はまとめています。
まとめ
・単純労働を続けた労働者=それ以外にスキルがない
・スキルがない=限られた場所で低賃金で働くしかない
・生き方を縛られるのは関係のなかった農耕労働者にも波及
・資本主義的な蓄積の一般法則=経済成長&貧困格差が広がる
以上資本論の第23章までのまとめです。
働いても新しいスキルが身につかないという恐怖は、今の時代でも分かる気がします。
誰でもできる仕事しかやらずに生きてきた人が、あるとき思い立って自分で何かやってみようとしても、時間に制約があることや気持ちが長続きしなかったりと苦労する話を耳にします。
少し大変で失敗するだろうとしても、めげずに積み重ねた先にこそ自分なりの資本が見つかるはずです。
失敗のみだったとしても、その失敗を発信する力があれば立派な資本です。
自分にはどんな強みがあるのか…。
自分は一体なにを頑張ってきたのか…。
そんなことを考えさせられる章でした。
さて、資本論の第一巻も第24章と第25章を残すのみになりました。
残りのテーマは“資本主義はどのように始まったのか”と“資本主義が興らなかった国”についてです。
資本論でいうところの“いわゆる本源的蓄積”と“近代植民理論”の説明にて幕を閉じようと思います。
それまでしばしのお付き合いをよろしくお願いします。
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