14世紀頃までのヨーロッパでは、動物の皮などを加工した“羊皮紙”に文字を書いて知識を残す手法が主流でした。
12世紀から既に大学教育が始まっていたことで知的関心に興味を持つ人々が増えていたこともあり、書物への需要は高まっていました。
15世紀なると紙が普及し、木版で刷られた書物が人々の手に渡るようになります。
しかし木版は消耗が激しい上に版を作るのに技術が必要であるため、大量生産することができませんでした。
ヨハネス・グーテンベルク
鉄を使って文字の形を作れはしないか?
グーテンベルクは、ドイツ出身の金属加工職人です。
父から受け継いだ金属鋳造、加工技術を駆使し、金細工や鏡の職人として働いていました。
ある時グーテンベルクは、木版本が人気であることを知り、自分でも印刷ができないかと考えました。
そこで従来の木版ではなく、自らの金属鋳造技術を使って金属を文字の形にすればいいと考えます。
とは考えたものの、素材である金属を入手するにも印刷機を作るにもお金が必要でs。
彼は貨幣職人ギルドへ入会し、自分のアイデアを実現しようと考えました。
入会は…ダメです。
グーテンベルクの母方の祖父が貴族でないという理由で、ギルドの入会は断られてしまいました。
それでも彼は自分のアイデアを実現させようと、友人から借金をして密かに印刷機の開発に取り組みます。
活版印刷の誕生
持ち前の鋳造技術によって文字を型取りすることはできました。
しかしいざ文字を紙に印字するとなると、均等に力をかけられる装置が必要です。
そこでグーテンベルクが目をつけたのは、農家でよく使われていたブドウ絞り機(圧搾機)でした。
上から圧搾するタイプのブドウ絞り機なら、均等に力を加えることができる上、広い範囲の印刷でも使えることに気づいたのです。
こうして完成したのがグーテンベルク式印刷機であり、活版印刷の歴史が始まっていくことになります。
印刷機を発明した彼は、聖書の印刷に取り掛かります。
しかし開発に充てた借金が返済できず、自らの工房や印刷機を債権者に譲ることに……。
手元に残った道具で細々と印刷業を続けたと言われていますが、彼のその後は詳しくはわかっていません。
しかし彼が印刷した“四十二行聖書”は後に大変な人気を博すことになり、活版印刷の評判は瞬く間に人々の間で知られるようになりました。
活版印刷のその後
活版印刷技術はヨーロッパ全土に広がり、大衆の読み書きが当たり前になります。
知識が紙に蓄積されていくことで、ある人の一生分の知識を多くの人が知れるようになりました。
情報革命のはじまりです。
後の宗教改革やルネサンス、文学や大学の発展などに大いに貢献することになり、世界を変えたルネサンス期の三大発明のひとつに数えられるようになりました。
ちなみに三大発明の他のふたつは、火薬と羅針盤です。
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