以前の記事にて、マケドニアの王としてアレクサンドロス大王を紹介させてもらいました。
この記事からはファラオ繋がりとして、エジプト王に君臨したアレクサンドロス大王へ話が広がっていくことになります。
今回は、彼がエジプト支配のきっかけになる戦いである”イッソスの戦い”を紹介していこうと思います。
序:当時のエジプト
ハトシェプスト女王、トトメス3世、ラメセス2世らがつくり上げたエジプトの繁栄と威厳はもはや失われていました。
ヒッタイトが滅亡すると同時に、彼らが独占していた鉄器生産技術が方々に流出。
鉄資源を輸入に依存していたエジプトは国外勢力に後れをとり、かつての領地を全て失われてしまいました。
その頃のエジプト第31王朝は大国ペルシャに支配されていました。
しかしエジプトを支配していたペルシャに殴り込みをかけた人物がいました。
マケドニア王アレクサンドロスです。
イッソスの戦い
イッソスの戦いは、アレクサンドロスがエジプトを支配への足掛かりとなった戦争です。
この戦争を8つのエピソードでここにまとめていきます。
エピソード1「4万VS10万」
マケドニア王国の王位を継承したアレクサンドロスは、領地拡大のためアジアに向かい東方遠征を開始しました。
当時、東方に広がるアジアはペルシャが征服しており、エジプトもそのひとつに過ぎませんでした。
アレクサンドロス率いる4万(正確には4万1千)のマケドニア軍は、東方遠征を次々と成功させペルシャ領の一部を征服していきます。
これを良しとしないペルシャのダレイオス3世は、10万の大軍をもってマケドニア軍の迎撃に打って出ることになります。
これによって4万対10万というペルシャ軍の圧倒的有利で戦いが始まるのです。
エピソード2「対10万への作戦」
イッソス近郊まで勢力を伸ばしたマケドニア軍に斥候から報告が入ります。
「アマヌス山を越えた平野に2倍以上の大軍が待ち受けている」と。
これを聞いたアレクサンドロスは、ペルシャ軍と戦闘の場をアマヌス山脈の下側に決めます。
山と海で囲まれた狭い場所であれば、如何に大軍であっても軍の一部しか戦わせることができないと踏んだのです。
何よりペルシャ軍による迎撃準備が整っている平野での戦闘では、勝機が薄いことは明白でした。
エピソード3「補給路」
マケドニア軍有利の山脈で戦うためには、ペルシャ軍から動いてもらうしかありません。
しかし数日が立っても、ペルシャ軍は陣を敷いている平野から離れることはありませんでした。
その間アレクサンドロスがとった行動は、戦いの準備や威嚇ではなく閲兵式でした。
何日もの間軍事パレードや競技大会を開き、兵の士気を上げていたのです。
もちろん狙いはそこではありません。
ペルシャ軍は10万の大軍を維持するために“補給”が必須でした。
しかし軍を配置している場所は海から遠く、効率の悪い陸路からの補給に頼るしかありません。
マケドニア軍が攻めてこない限りは、ただ消耗していくだけです。
その結果、一刻も早くマケドニア軍を撃退したかったダレイオス3世はまんまとアマヌス山脈の南へ軍を進行させられることになりました。
…かに思えました。
エピソード4「アレクサンドロスの誤算」
マケドニア軍は作戦通り、有利な地形を武器に10万のペルシャ軍を迎え撃つ準備をしていました。
しかし一向にペルシャ軍の姿は現れません。
実はこのときダレイオス3世はアマヌス山脈の南ではなく北側に進軍し、大きく迂回していたのです。
マケドニア軍の動向は、ペルシャ軍の斥候によって筒抜けだったのでした。
このときアレクサンドロスはアマヌス山脈の迂回ルートを把握しておらず、完全に背後をとられる形になってしまいました。
「イッソスの戦い②」へ続く…↓
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