の続き…。
清作の悲劇
母シカと父佐代助の間に産まれた二人の子どもイヌと清作。
シカは幼いときの自分と同じ思いをさせまいと、より一層働くようになっていました。
姉のイヌが祖母ミサと共に清作の子守までできるようになったある日のこと…。
ハイハイ歩きの清作が、囲炉裏に転げ落ちてしまう事故が起きてしまいます。
灰をかぶせてあったものの囲炉裏の火は熱く、清作は足と手に火傷を負ってしまいます。
当時近くに医者もなく、和尚にまじないをしてもらい包帯で手当をするくらいしかできませんでした。
火傷の後遺症
事故から数ヶ月、清作の手足の火傷も治り両足と右手は以前と同じように動かせるまでになりました。
しかし左手だけは火傷でただれた皮膚がくっついてしまい、グーの状態から指を動かすことができなくなってしまいます。
母シカは、「これでは百姓として生活することはできなくなってしまった」と責任を感じ、一生清作を養っていく覚悟を決めます。
その後シカは、清作から目を離さないために野良仕事の間はずっと連れて歩いたそうです。
勉学の道に進む
明治に入り15年が過ぎたこの頃、近代化が進む日本は百姓だけなく勉学を立てて出世をする選択もできるようになりました。
清作が6歳のとき、清作と大の仲良しだった“野口代吉(だいきち)”が小学校に通い始めます。
清作は始めのうちは母の仕事を手伝いたいがため、学校へ行くことをためらっていました。
それを見兼ねた代吉の父は、硯(すずり)や筆、教科書など学校に必要なものを買い揃えてくれました。
母シカにとっても清作は百姓よりも勉学に力を入れた方が良いと感じており、小学校(三ツ和小学校)に入学させることに決めます。
「テンボー」
小学校に入ると、清作の開かない左手は周りの子どもたちにとっては興味の対象でした。
「テンボー(手の不自由な人)」とからかわれたことを許せず喧嘩もしました。
仲良しだった代吉はそんな事気にせず扱ってくれていた半面、そうはならなった学校生活のギャップに、授業を抜け出し隠れて泣いた日もあったそうです。
清作の決意
慣れない学校から喧嘩をしては授業を抜け出すことの多かった清作。
ある日母シカは、学校を抜け出した清作を見つけます。
シカは叱るどころか、左手の火傷のせいで傷ついていると悟り、清作に泣いて詫びました。
その日から清作は、学校を抜け出さなくなり勉強に励むようになります。
生長になる
三ツ和小学校の尋常科を課程を修了し、温習科に進んだ清作。
彼が11歳になる頃には、勉学で彼に追いつける者は誰もいませんでした。
学校では先生の代わり教壇に立つことを許される、生長(現在の生徒会長)に選ばれることになりました。
これには母シカも驚きを隠せません。
それまでは、ある程度頭の良い財産家の息子などが生長を務めており、貧しい百姓の子が生長になることは前代未聞だったからです。
最早この頃になると、清作の手を悪く言う者は誰もいなくなっていました。
…続く。
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