【前回記事】
ジャスパーの誕生
エトルリア工場で完成したブラックバサルト。
ジョサイアはこの黒い焼き物をさらに改良し、新しい素地の開発を行いました。
素地の配合と温度の綿密な記録をとり続けること4年。
一万回に及ぶ試行錯誤を重ねた末ついにジャスパーウェアという炻器の開発に成功しました。(1774年)
ジャスパーとは石英の一種である碧岩を意味しており、碧岩が青、緑、黄、褐色など様々なバリエーションがある鉱物であることが名前の由来となっています。
この素地の完成に際してジョサイアは、「バサルトの 美しさを失わず、古今の焼き物が未だ試みたことがないもの」と述べており、新しい陶器の完成を喜んでいたことが伺えます。
ジョサイアは完成の喜びを手紙を通してベントレーに伝えましたが、その際、手紙に書かれたジャスパーの製法と素材の調合が外部に漏れることを恐れ、わざわざ二通に分けて書いたと言われています。
また、ジャスパーウェアには女神や天使、月桂冠など古代ギリシャ・ローマを彷彿とさせるデザインが好んで作成されました。
ジョサイアとベントレーの理念が込められたこのデザインは、それ以降ウェッジウッドの代名詞として知られるようになり、現在でも洋食器好きの心を掴んで離しません。
エカチェリーナ2世とフロッグサービス
エトルリア工場における大きな出来事として、フロッグサービスの作成が挙げられます。
フロッグサービスは、ロシアの女帝エカチェリーナ二世に向けて送られたサービスセットです。
ピョートル大帝がロシア帝国を樹立して以降、帝国は軍事力を拡大していきました。
エカチェリーナ二世は、そういった国力が最高潮に達したロシア帝国のトップに君臨しており、そして何より愛陶家としても有名でした。
彼女との外交手段の一つとして陶磁器が送られることさえありました。
ザクセン選帝侯国のマイセン窯からはスワンサービス。
プロイセンのKPMベルリンからはベルリンデザートサービス。
フランスのセーヴル窯からはカメオサービス。
デンマークのロイヤルコペンハーゲン窯からはフローラダニカサービス。
……。
挙げるときりがありませんが、これらのモデルは、現在でもかなりの高級品に入り、新品を手に入れるのは至難の業でもあります。
そういった中、英国の陶器界に名を馳せるウェッジウッドもエカチェリーナ二世へのディナーサービス作成に挑みます。
このとき使用したモデルはウェッジウッドの原点とも言えるクリームウェアで、縁にはエカチェリーナ二世が好んだアラベスク模様(唐草模様)が描かれていました。
「ハスクサービス」と呼ばれるこの食器セットはエカチェリーナ二世からの評判も高く、1773年には新たな食器セットが注文されることとなりました。
それらの食器はチェスミー宮殿で使用される目的で、50人分のセット952点という大仕事でした。
ジョサイアはウェッジウッド社として全力でこの注文に応えることにします。
工場への他の注文は全て断るほどこのチャンスに掛けていて、そのおかげもあってか当初3年はかかると思われていた食器セットの作成は、1年かからずに完成させることになります。
この時作られたセットはフロッグサービスと呼ばれ、各食器にはカエルの紋章とイギリスの古城や洞窟などの風景画が描かれていました。
フロッグサービス
カエルの紋章が描かれている理由は、ディナーセットが置かれるチェスミー宮殿にはカエルがたくさん住む大きな沼があり、別名「カエルの宮殿」と呼ばれていたからです。
このフロッグサービスは、マイセンのスワンサービスと並んで世界でトップレベルのディナーセットとして知られています。
また他の注文を一切断っていたにもかかわらず、このディナーセットによる利益はほとんど出ませんでした。
その代わり、エカチェリーナ二世に送る前にロンドンのショールームに飾られることになります。
これに伴い、五カ国語に翻訳したパンフレットを配るなどプロモーションに活かしました。
パンフレットの効果は絶大で、イギリス女王だけでなくロシアの女帝も御用達ということから後に注文が殺到することになります。
恐らくベントレーと練ったアイデアでしょうが、国の女王を相手にこれほど行動的になれるジョサイアの実業家としての才能に驚かされます。
コメント