【前回記事】
パンパでの発見
リオデジャネイロを出発したビーグル号は、モンテビデオ、ブエノスアイレスを経由しながら本来の目的である自然環境(軍事拠点)の測量を始めました。
ダーウィンもそれぞれの地で内陸部の調査に出かけました。
そこでは、リオデジャネイロで見た熱帯雨林とは異なる、パンパと呼ばれる乾燥した草原が広がっていました。
ここでは牧畜で暮らしているガウチョを案内役として雇い、乾燥地帯での生き方や気ままな放浪の旅を楽しみました。
この野営の中でダーウィンは、ガウチョたちが捕獲したアルマジロの甲羅を鍋にして肉を焼いて食べたことが印象に残っていたようです。
パンパでは、探索二日目にしてメガテリウムの化石を発掘しました。
メガテリウムは約5百万~1万年前に生きていたとされる大型のナマケモノの仲間で、重さは3〜5トンとも推定されている新生代の生物です。
当時、メガテリウムはヨーロッパでもわずかに発見されていましたが、神が創造した生物が絶滅するはずがないという風潮が根強かったため、研究者の間でも議論の的になっていました。
遠く離れた地で発見されたこの化石も、そういった閉鎖的な宗教観に一石を投じるきっかけになっていきます。
続けてダーウィンは、絶滅したナマケモノの化石を3種類も発見しましたが、後の分析によってそれらは全て新種であることが分かりました。
その中の一種は後に、解剖学の権威リチャード・オーウェンによって「ミロドン・ダーウィニ」と名付けられました。
あるはずのない化石
調査を進めているとダーウィンは、赤い粘土質の層からウマの臼歯を発見しました。
このウマ自体は特別大きいというわけではありませんでしたが、彼は自分の目を疑いました。
理由は、スペイン人が南アメリカ大陸に入植した際、この地にウマなどいなかったことが確認されていたからです。
彼が発見した化石は、南アメリカ大陸にもかつてはウマなど大型哺乳動物がいたという初めての証拠でした。
この発見は、ビーグル号航海の中でも特に重要な発見と考えられています。
旅の中でダーウィンは、動植物や動物の化石などを恩師のヘンズローへ送っていました。
しかし、そういった発見の産物はすでに学会では知られているものばかりであったため、それらが意味のあるものなのかどうか不安に思っていました。
しかし、ヘンズローや友人からの手紙には「もっと化石を送って欲しい。皆君のことを話しているよ。」という激励の言葉で溢れていました。
ダーウィンはロンドンにて、若き古生物学者として一躍注目を集めていたのです。
ダーウィン・レア
パンパを南下しパタゴニア平原に到達すると、そこは寒冷で乾燥した厳しい気候の地域でした。
この草原地帯では、ダチョウやエミューによく似た飛ぶことができない大型の動物“レア”の観察から始めました。
ガウチョが言うところによると、“レアは複数のメスがひとつの巣に共同で卵を産み、一匹のオスが卵を温めることや、別の場所ではやや小さめのレアが生息している”という習性があるそうです。
これは後に、ハーレムという一夫多妻のシステムであることが分かります。
パタゴニアを南下していくと一行はポート・デザイアに到着しクリスマスを迎えました。
ダーウィンはクリスマスを楽しむことよりも、探索中に発見できなかった“小さなレア”が気がかりでした。
ポート・デザイアに到着してから数日後、同行者が一匹のレアの若鳥を撃ちました。
新年のお祝いとしてみんなで美味しく平げた直後、ダーウィンはハッとします。
「コレは若鳥などではなく、小型の成鳥なのではないか」
そう考えた彼は食べ残っていた骨をかき集めて標本を作り、ヘンズローのもとへ送り届けました。
これは後に、鳥類学者のジョン・グールドによって新種であることが判明し、“ダーウィン・レア”と名付けられるのです。
さらに南に進むと、あれだけ発見に苦労した小型のレア(ダーウィン・レア)がたくさん現れました。
これは単純に生息地が違うという理由でしたが、ダーウィンはこの似ている種が微妙にずれて存在することを不思議に思いました。
アフリカにはダチョウがいて、南アメリカにはレアがいる。
さらには地域によって微妙に種類が変わってくる。
「もし神がいるならば、ある一種類の生物をそれぞれに配置すれば事足りるはず……」
ダーウィンが味わった肉は、彼の血となり肉となるだけでなく、進化論を形作る重要なひらめきを与えてくれることになるのです。
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