哲学

【韓非子㉓】とんちを効かせるのも賢さのひとつ

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【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

      

韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

       

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

     

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

     

今回のテーマは“不死の薬を荊王に献ずる”です。

    

        

        

不死の薬を荊王に献ずる

【本文】

不死の薬を荊王に献ずる者有り。

 

謁者(えつしゃ)之を操(と)りて以て入る、中射(ちゅうしゃ)の士問いて曰わく、食らう可(べ)きか、と。

 

曰わく、可(か)なり、と。

 

因(よ)って奪いて之を食らう。

 

王大いに怒り、人をして中射の士を殺めんとす。

 

中射の士、人をして王を説かしめて曰わく、臣謁者に問う、食らう可(べ)し、と曰(い)えり、

 

臣故に之を食らいぬ、是(こ)れ臣は罪無くして、罪は謁者に在るなり、且つ客、不死の薬を献じ、臣之(これ)を食らいて、王臣を殺さば、是れ死薬なり、是れ客王を欺けるなり、夫(そ)れ無罪に臣を殺して、人の王を欺くを明らかにせんよりは、臣を釈(ゆる)すに如(し)かず、と。

 

王乃(すなわ)ち殺さず。

 

【解釈】

ある者が荊王に不死の薬を献上した。

 

取次が薬を運んでいる最中、侍従のひとりがこう尋ねた。

 

「(この薬は)食えるのか」と。

 

取次は答えました。

 

「食べられます」と。

 

すると侍従はその薬を奪って飲み込んでしまった。

 

これを聞いた荊王は怒り、侍従を死刑にするよう臣下に命じた。

 

すると侍従は人伝にこう弁解した。

 

「私が取次に、“これは食えるか”と聞いたところ、“食える”との答えだったので食いました。

 

つまり私に罪はなく、罪は取次にあります。

 

また、不死の薬を献じてもらったのに、私がそれを食って王に殺されては、これは死薬ということになり、客人は王を欺いたということにもなります。

 

さらに、このまま罪無きの私を殺してしまっては、王が欺かれたと世に広めることになります。

  

私をお許しくださる方がまだましとは思いませんか」

  

これを聞いて王は侍従の死刑を取りやめた。

  

  

とんちを効かせるのも賢さのひとつ

せっかく献上された不死の薬が侍従に横取りされてしまった、という逸話ですね。

  

不死の薬を飲んだ者を殺してしまえば不死かどうかも分からない上に、王が騙されたと悪評が立つだろうという、何ともとんちの聞いた話です。

 

感情に任せて断罪する王なら即斬首されようなものですが、侍従もとんだ大博打に出ましたね。

 

ただし侍従にも一理あるので、理解ある者であれば彼の言葉に耳を傾けるのでしょう。

 

相手が例え王であれ、ロジックを積み上げていけば意見が通るだろうという教訓でした。

 

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