そのときの「今」を歴史に残した大作~オルナンの埋葬~

芸術
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ギュスターヴ・クールベ(1819~1877年)

 

クールベが1855年の万博博覧会に出品する予定だった数ある作品のうち、審査に通らず出品できなかった作品に画家のアトリエがあります。

 

それともう一つ、神秘性や権威性が薄いことなどを理由に審査が通らなかった作品があります。

 

それが今回紹介する“オルナンの埋葬”です。

 

一度はサロンに出品し評論家から大批判を浴びた作品でもあります。

 

以下に作品の詳細をまとめていきます。

 

 

オルナンの埋葬

ギュスターヴ・クールベ作「オルナンの埋葬」1849~1850年

 

この絵は縦3.15メートル、横6.68メートルにも及ぶ大きな作品です。

 

クールベがつけた正式なタイトルは“オルナンにおけるある埋葬の歴史画”というものです。

 

彼の生まれ故郷であるオルナンで執り行われた大叔父の埋葬シーンを描いています。

 

絵の巨大さや登場する人の多さから、かけた労力はかなりのものだったことが伺えます。

 

人を多く描くことも画家としての技量の一つと考えられていた当時、この絵は正に大作と呼べる作品です。

  

 

登場人物=オルナンに実在した人々

この絵に登場する人物たちはオルナンに住んでいたクールベの知り合いたちがモデルになっています。

 

右側は女性、左側が男性となっているのは、教会で男女が座る位置と合わせているからです。

 

絵の右側にはクールベの母や妹らが描かれています。

 

一番左が母、続いて三人の妹たち

 

絵を描く際に、実際に彼らをアトリエに呼び一人一人ポーズをとってもらいながら描いたそうです。

 

その時はこの絵が問題作となるとは知らず、皆喜んで依頼を引き受けたといいます。

 

参列するのは身内の他にも市長や判事たちの姿(↓の左側)が描かれています。

 

 

また朱色の服と帽子を被った人物たちは教会の雑用係です。↓

 

 

まるで酔ったかのように頬が染められているのは、その時の権威に対する反抗心の表れではないかと考えられています。

 

その隣には祈祷書を読む司祭や、聖具を持った男性など聖務に当たる人々が描かれています。↓

 

 

また現実をそのまま描くクールベにしては珍しく、既に亡くなっている祖父が描かれています。↓

 

 

クールベの祖父はかつてのフランス革命の際、人民側に立って自由を勝ち取るべく戦った戦士でした。

 

人民を中心として描くクールべの根本思想は、彼の祖父から学んだものだとされています。

 

それほどまでに祖父を尊敬していたことが理解できます。

 

 

絵の問題点

 

これほどの大きな絵は神話画や宗教画、もしくは歴史画など一部のテーマに限られていました。

 

またそれらの絵には共通して何か美しく描かれるものがあることが多いです。

 

しかしこの絵見返してみると、人物を特別美しく描いているわけでもなく、何か神秘的に表現しているわけでもありません。

 

逆に絵は全体的に重々しい雰囲気が漂い、老人はシワが分かるくらいリアルに描かれています。

 

クールベの主義通り、人々を美化せずそのまま描いたことが感じ取れます。

 

この作品の問題点は歴史画だと主張したことです。

 

「今その時を表現した絵も時が経てば歴史画なる」と語ったクールベですが、どうもその主張は受け入れられなかったようです。

 

英雄や王の葬儀をテーマにする、もしくは風俗画としてもっと小さく描いた作品だったなら受け入れられたことでしょう。

 

名もなき一般市民を描いたことは、当時の評論家たちには受け入れられませんでした。

  

しかし後の反響から考えると、権威主義に反対する者その時を懸命に生きる市民たちに影響を与えたことは確かです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか“オルナンの埋葬”

 

クールベが主張した通り、今では風俗画のみならず歴史画の側面もあると受け入れられる作品でもあります。

 

この作品が問題になったことは、彼の反権威的な思想に拍車をかけたように見えます。

 

いずれ授与の対象となるレジオン・ドヌール勲章(名誉軍団国家勲章)すらも拒否するほど誰かの威光を嫌うようになったのも、彼の生涯を考えてみると頷けます。

 

そんな彼の振る舞いは、後に市民たちの心を震わせ、理不尽と戦う心の支柱にもなっていきます。

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