の続き…。
前回の記事にてヘーゲルの弁証法についてお伝えしました。
簡単にまとめると、全てのものや思想には矛盾があり、人間は矛盾を考えることで進歩してきたというものです。
ヘーゲルはカントが打ち立てたドイツ観念論(定言命法など)は、主観的で自己中心的になりかねないと考えました。
カントの定言命法を思い返してみると、“無条件に善を行うべきだ”という意図が汲み取れます。
カントが考える自由は、欲望に負けずに自分をコントロールすることでした。
自らを律し、本当の自由を獲得した状態がカントが理想と掲げた“目的の王国”です
確かに個人の意志に重きを置いた主観的な論理でもありますね。
ヘーゲルはこのカントの主張は、内面的で抽象的だと指摘しました。
そこでヘーゲルは真の自由とは何のか、自由を実現するにはどうすれば良いのかを考えます。
今回はそんなヘーゲルの考える自由の実現について触れていきます。
家族と国家
家族には愛情があるが自由が制限される。
ヘーゲルは人々の道徳的な思想の根幹には“家族”があると考えました。
家族は愛情によって結びついています。
しかし家族のために仕事をしたり、家事や子育てをしたり、時には望んだ生き方を諦める決断を迫られる場合もあります。
つまり心を満たしてくれる愛情が充実する代わりに自由が制限されている状態を表しています。
では家族という存在を否定した場合はどうでしょうか。
家族の不自由さから解放され自由になった自分。
このような場合、どんなに自由を手に入れても、家族の愛情がなければ喪失感を抱くだろうとヘーゲルは主張しました。
自由=国家によって実現
本来、国家は人間を幸福にする。
先の例を弁証論風に例えると…。
正の命題=家族を大切にするべきだ
反の命題=個人の自由を大切にするべきだ
となり、これらの考えを統合して得られた結論(合)が“新しい国家”です。
ヘーゲルは家族と自由の命題をより高い次元で統合し、自由と愛を表現することができるのは国家であるとしました。
この考えから彼は「本来、国家は人間を幸福にする」と主張します。
そして自由や愛の実現は、国家が法律や社会制度など具体的で客観的ものによって実現させる必要があると考え、カントの主観的な自由を指摘したのです。
ヘーゲルの思想のその後
フランス革命という動乱の世を生きたヘーゲル。
イエナの戦いで勝利するナポレオンの姿を見て、
「絶対精神(自由獲得の原動力)が白馬に乗って現れた!」
と手紙に書いて友人に送ったと言われています。
絶対王政打倒を掲げ、見事勝利したナポレオン。
この革命の思想とヘーゲルの矛盾に向き合い進歩する思想は、その後の奴隷解放や自由獲得の原動力になったとされています。
コメント