絵画は色や形の詩~ホイッスラーの母~

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ホイッスラー

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834~1903年)

  

ホイッスラーはアメリカマサチューセッツ州のローウェルに生まれた画家です。

  

幼い頃は外国暮らしが多く、ロシア、イギリスを9年ほど転々とした後、故郷であるアメリカに戻ってきます。

  

帰国したホイッスラーは、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学するも、三年目になると科学の試験をパスできずに退学となります。

  

1854年には首都ワシントンへ、1855年にはヨーロッパに渡り、最終的にロンドンで生活を始ます。

  

1863年になると彼の母アンナ・マチルダ・マクニール・ホイッスラーがやってきて同居を始めます。

  

あるときホイッスラーの絵画のモデルが病気にかかり、母が代役を務めることになります。

  

これによって描かれた作品が“ホイッスラーの母”です。

  

 

ホイッスラーの母

ホイッスラーの母
ホイッスラーの母

  

この作品は当初、『灰色と黒のアレンジメント第一番:画家の母の肖像』と題され、ロンドンのロイヤル・アカデミーに展示されました。

  

ホイッスラーは母の個性よりも、色彩や構図を重視していました。

  

彼曰く、

「母の肖像画は私にとってか興味深い作品だが、一般の鑑賞者は気にも留めない。」

「音楽が音の詩であるように、絵画は色や形の詩であり、主題は色彩のハーモニーとは関係がない。」

と語っています。

  

自身が描いた絵にシンフォニーやノクターンなど音楽用語を使うことが多いのも、この芸術的な感性が一貫されている証拠だと思います。

  

この絵が発表された当初はあまり注目されませんでしたが、1883年(絵の発表の約10年後)のパリのサロンに出展された時には、反響を呼び高い評価を受けたと言われています。

  

彼のスタイルであるモノトーン調の色彩を使って黒いドレス(喪に服していることを表す)や透き通ったキャップを表現しています。

  

この絵は後に、典型的な母親像として見られるようにもなり、切手の図柄に採用されたり、ミスタービーンの映画の題材としても使用されたり、パロディとして絵のポーズを真似したりと広く愛されています。

  

 

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