知識とは
知識とはなにか…?
知識を扱う認識論では、知識の定義をひとつの目的にしています。
プラトンの時代まで遡ることができる認識論ですが、伝統的な哲学者の定義は以下のようなものがあります。
“知識とは正当化された真なる信念である”
何かを知るためには、それが正しいと信じていなくてはならないという意味です。
知識の条件(JTB方式)
真の知識が正当化されているというのは、その信念を持つためには理由が必要ということです。
例えば…、あなたが友人とアルファベットを選ぶゲームをするとします。
あなたは適当に“J”を選びます。
そして友人がそれを一発で“Jだ”と当てたとします。
友人はあなたが“J”を選んだことを知っていたのでしょうか?
確かに友人は“正しい答え(真)”を選びましたが、これは偶然当てたに過ぎません。
真なる信念を形成してもその信念が知識とみなされるためには、何らかの理由が必要になるのです。
では知識とはどのような条件なのか……?
ひとつのまとめ方をみてみると……。
a:その命題を信じている
b:その命題が真である
c:その命題を信じる人が信じるに十分な理由がある
このa,b,cの条件が満たされたときのみ、知識とみなされています。
これをJTB( Justified true belief )方式と言います。
ゲティア問題
近代的な認識論では、“正当化された真なる信念”が全て知識とみなされるかが議論されています。
哲学者エドマンド・ゲティアが書いた有名な論文、“Is justified true belief knowledge?(正当化された真なる信念は知識なのか?)”をきっかけに、この認識論の答えに疑問が生じたからです。
例えば…、あなたと友人がある会社の採用面接を受けにきたとします。
【前提】
・友人は採用され、かつ、“友人のポケットに10枚のコインが入っている”ことをあなたは確認した
・あなたはこのことから“ポケットに10枚のコインが入っている人が採用される”と信じている
・実は友人ではなく、あなたが採用されることが決まっている、かつ、あなたのポケットにも10枚のコインが入っている(もちろんこのことはあなたも知らない)
【問題】
上の命題からJTB方式に矛盾しない物語を作ると…。
a:あなたは、“ポケットに10枚のコインが入っている人が採用される”という命題を信じている
b:事実、ポケットに10枚のコインが入っているあなたが採用されるわけであるから、“ポケットに10枚のコインが入っている人が採用される”という命題は真である
c:あなたは、“友人が採用され、かつ、10枚のコインが友人のポケットに入っていた”という事実があり“ポケットに10枚のコインが入っている人が採用される”との命題を信じたのであるから、その命題を信じるに十分な理由を持つ
a,b,cの条件から“採用されるのは、10枚のコインがポケットに入っている者である”という命題についての知識を持っていると結論づけることができる。
しかし実際には、“あなた自身のポケットにも10枚のコインが入っている”ことを知らなかった上に、最終的には友人は落ちてあなたが採用されるのだから、あなたはこの命題についての知識を持っているとは言えない。
このことから正当化された真なる信念が全て知識であるとは限らないと言えるのです。
論文の内容に多少の付け足しもありますが、伝えたい内容はこれで概ね違いないです。
今でも哲学者たちは、ある信念を知識とみなすために、真であることと正当化されていること以外に、どんな条件が必要かを議論しています。
参考)
・論文リンク
Is justified true belief knowledge?(正当化された真なる信念は知識なのか?)
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