歴史

志を得ざれば再び此地を踏まず~野口英世⑤~

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の続き…。

 

血脇守之助先生との出会い

渡辺ドクトルの元で勉強と研究を続ける清作ですが、その勤勉さと賢さからドクトル不在時の病院会計の仕事までをも任されるようになりました。

 

そんなとき、出張診療に来ていた血脇守之助先生に出会います。

血脇守之助
血脇守之助

血脇先生は、「もし医術開業前期試験に合格したら、私のところに来なさい。」と清作を励まします。

  

清作はその言葉に勇気づけられ、猛勉強の末に開業前試験に合格。

実家の柱に決意を刻み、血脇先生のいる東京を目指します。

 

  

お金のかかる東京暮らし

上京の後、血脇先生の紹介によって高山歯科学院で働くことのなった清作。

  

実務をこなしながら医師になるための勉強をしますが、医師免許の取得への道は勉学だけではどうにもなりませんでした。

  

とにかくお金が必要だったのです。

  

開業医試験に向けた診断等実地試験が行われる済生学舎で学ぶには、寮費も含め月15円(当時の物価の変動で一概には言えませんが現在では約30万前後の価値)必要になります。

  

そこでも血脇先生は、清作に対して援助を惜しみませんでした。

  

自分の仕事を増やしてまで清作のためにお金を支援したのです。

上京当時の野口清作
上京当時の野口清作

 

  

野口清作の“負”の一面

そんな清作の医学道、も順風満帆というわけではありませんでした。

  

借りた金とはいえ懐に大量のお金があることからか、金銭感覚が麻痺したようにお金を使ってしまうのです。

  

勉強の後に飲み歩き、勉強の後に色街に出掛け、生活費も底をつくほどお金に余裕がなかったそうです。

  

それでも血脇先生は、「若気の至りである」と意にも介さず支援しました。

  

ただ、すぐにお金を使い込まないように15円を5円ずつ3回に分けて送ったりと、色々工夫していたそうです。

 

  

遂に医師の資格を得る

遊び呆けているとはいえ勉学への熱は冷めず、医術開業後期試験に合格。

  

その後の医師免許取得試験で必須である打診には、左手の感覚も必要になってきます。

  

清作にとっては死活問題でしたが、そこでも血脇先生の援助によって左手の再手術を受け打診ができるようになりました。

 

普通は数年かかると言われる医術開業試験をわずか1年で合格。

  

弱冠20歳という若さで医師の免許を取得します。

  

これには故郷の家族たちもさぞかし驚いたことでしょう。

  

血脇先生も、一時は堕落したと言われた清作が結果的に異例のスピードで医師になり、面目を保つことができたと安心したそうです。

  

清作にとっては途中の堕落も堕落ではなく、夢実現に必要なガス抜きだったのかもしれませんね。

  

ただお金がかかっていただけで…。

  

続く…。

次回「野口清作、“英世”の名を授かる」

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