キリスト教に改宗した皇帝~コンスタンティヌス一世~

歴史
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皇帝ネロのキリスト教迫害

紀元前64年になると、皇帝ネロはキリスト教に対する迫害を公的に命じました。

これらのことが今でも暴君と呼ばれる所以になっています。

暴君ネロの彫像

ネロに限らずローマの権力者たちは、キリスト教は帝国の安定を脅かす存在だと考えていました。

彼らにしてみれば、キリスト教徒は国家によって磔の刑に処された罪人を崇拝しているに過ぎないからです。

更には、皇帝を崇めることやローマ古来の神々を礼拝することを拒否していたことも、迫害をエスカレートさせる一因でした。

コンスタンティヌス一世によるキリスト教の公認

200年に及ぶ迫害を経て、キリスト教徒は貧困者を中心に広がっていきました。

やがて信者はローマ社会の主流からも出てくるようになり、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世(275頃~337)もその一人でした。

コンスタンティヌス一世の立派なケツアゴ

コンスタンティヌス一世は、夢で見た幻視体験をきっかけにキリスト教に改宗。

313年にはミラノ勅令を出し、帝国内全土でキリスト教を公認しました。

その後、100年もしないうちにキリスト教は従来の多神教に代わって 、ローマ帝国の国教になっていきました。

豆知識

コンスタンティヌス一世は、キリスト教に改宗した後も、政敵を数多く殺していて、例えそれが自分の親族であっても容赦はしませんでした。


31年の治世では、二度目の妻、義理の兄、長男を処刑しています。

ローマ嫌いな彼は、ヨーロッパとアジアが接するポスポラス海峡に面した場所に、「新ローマ」を建設しました。


後にコンスタンティヌス一世の名前を取って、コンスタンティノープルに改名され、今ではイスタンブールに名を変えてトルコ最大の都市になっています。

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