天動説
アリストテレスが世界の事柄を整理して以降、天体の動きについては彼が唱えた天動説が主流となります。
この天動説を基に、地球を中心とした宇宙観を裏付けるべく、数々の学者が天体軌道の計算に挑んでいくことになります。
見かけ上は東に進んでいた天体が、急に向きを変え西に進んでしまうことなどもあり、軌道の計算は困難を極めます。
コペルニクスやガリレオが地動説を唱える以前、古代ギリシャには“地球は太陽の周りを回っているのではないか”と考える学者も多数いました。
しかしこの古代地動説は古代ローマのある学者によって否定されてしまいます。
その学者の名は”クラウディオス・プトレマイオス”。
天文学、地理学、数学など後世に残る功績を残した人物です。
プトレマイオスの生涯についてはそのほとんど明らかになっていませんが、彼が残した功績は現在でも語り継がれています。
今回はそんなプトレマイオスの功績の中でも注目されている“天動説”について触れていきます。
プトレマイオスの天動説
彼が活動の中心に置いたアレキサンドリアは、バビロニア天文学からなる膨大な資料が集められていました。
プトレマイオスはそれまでバラバラだったギリシャ天文学を整理し、集大成“アルマゲスト”を作り上げます。
アルマゲストには、見かけの速さを基準に、“水星、金星、火星、木星、土星、太陽、月”の7つの天体が地球を中心に回っているとされています。
このときの天体の軌道は、当時の幾何学の知識から、完全なる真円だと考えられていました。
地球を中心に、真円を描いて各天体が回っていると考えたのです。
それでも天体の回転を軌道には不可解な点が多く、説明がつきませんでした。
そこでプトレマイオスはエカントとそれに付随する回転軌道(周転円、離心円)の概念を考えます。
エカントは地球とは少しズレた位置にあり、天体の軌道に影響を与える存在です。
これで天動説での最大の問題点である惑星の逆行についても、“エカント、周転円、離心円(誘導円)”を用いて計算できるようになりました。
惑星の軌道を計算によって導き出した結果が以下のようなイメージ図になります。
これにより惑星の位置を明確に説明できるようになり、アルマゲストは天文学の集大成として以後1000年以上も読み続けられることになります。
ただ、地球から離れた月の位置と実際の見かけの大きさが合わないことなどは説明がつかず、このことは常に指摘されていくことになります。
【地動説の否定】
そんな中でも地動説を唱える学者も多くいました。
しかし、慣性の法則が発見されていなかったこの時代、鳥が地球の自転や公転に取り残されない理由を説明できなかったこと…
年周視差(地球の位置によって見える天体の位置が微妙にずれる)を観測できる技術が無かったたこと…
地球を中心とする宗教的な概念など色々な壁が立ちふさがったため、地動説が日の目を浴びるのはしばらく先のことでした。
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