の続き…。
エピソード10「決定打」
アレクサンドロス率いるヘタイロイ部隊の猛攻は、この戦いの決定打となりました。
ダレイオス3世めがけて突撃した部隊は、敵の隊列の隙間を縫うように進撃。
この攻撃によってダレイオスの近衛兵を撃破し、敵左翼の分断に成功します。
分断された敵左翼はアレクサンドロスの追撃を恐れ撤退しはじめます。
ダレイオス3世もこの攻撃によって撤退を決意。
ペルシャ軍の中枢は麻痺し反撃もできない程になっていました。
アレクサンドロスはダレイオス3世を追撃しようとしましたが、壊滅寸前のパルメニオン部隊の救援を優先しました。
救援の後ダレイオス3世の追撃に向かいましたが、戦闘中に分断されたペルシャ軍左翼部隊長のベッソスらに阻まれ、あと一歩のところで敵将の首をとることは叶いませんでした。
エピソード11「バビロン入城」
4万7千のマケドニア軍が20万のペルシャ軍を打ち倒すという大戦果を挙げたアレクサンドロス。
最早立ちはだかる者も無く、ペルシャの中心都市バビロンへの入城を果たしました。
このダレイオス3世の打倒とバビロン入城は東方遠征での最大の功績となります。
バビロン入城後は、ペルシャの首都ペルセポリスを占拠。
これを機にアレクサンドロスは大々的に“大王”を名乗り、ダレイオス3世の追撃を宣言するのです。
エピソード12「ダレイオス3世の最後」
ガウガメラの戦いから1年後の紀元前330年。
ダレイオス3世は命からがらエクバタナまで逃げ延びていました。
しかし彼にかつての権威や力はありませんでした。
再びアレクサンドロスに反旗を翻すも、彼の臣下は次々離反しアレクサンドロス側に寝返る者すらいました。
そんなダレイオス3世は、ある時側近のベッソスらにクーデターを起こされて身柄を拘束させられてしまいます。
その情報を耳にしたアレクサンドロスはエクバタナまで向かうも、彼を恐れたベッソスはダレイオス3世を刺殺して逃亡してしまいます。
ペルシャ王の呆気ない最後でした。
ここに事実上アケメネス朝とペルシャ帝国の滅亡が決まったのです。
エピソード13「仇」
ダレイオス3世の遺体を発見したアレクサンドロスは、遺体を丁重に扱いペルセポリスで盛大に葬儀を執り行いました。
最後まで戦い抜いたダレイオス3世を称賛するとともに、彼を英雄として葬ることでペルシャ国内にアレクサンドロスの器量を知らしめる狙いがありました。
また、彼を代々の先祖が眠る王家の墓に埋葬するよう命じ、不義不忠を働いたベッソスを打ちダレイオス3世の仇をとることを約束します。
エピソード14「ベッソスの最後」
ダレイオス3世を殺害したベッソスは、自らをアルタクセルクセスと名乗りペルシャ帝国の後継者であると主張しはじめます。
しかし裏切りでしか地位を奪うことができなかったベッソスは、ダレイオス3世ほど優秀ではありませんでした。
アレクサンドロスの追撃に対して、その場しのぎのゲリラ戦や悪路へ逃げ延びる程度の抵抗しか見せることができません。
最終的には味方のスピタメネスに裏切られ、身柄をマケドニア軍に引き渡されることになりました。
裁判の後ベッソスはペルシャ流の裁きにのっとり、鼻と耳をそぎ落とされ磔のうえ処刑。
ベッソスを磔にした場所は、ダレイオス3世が殺害された正にその場所でした…。
こうして、ガウガメラの戦いはアレクサンドロス大王による敵討ちで幕を閉じることになりました。
以上で“ガウガメラの戦い”の一連の流れは終わりです!
この後もアレクサンドロスの東方遠征は続いていきますがそれはまた別の話…。
話を本来の流れであったエジプトに戻すと、ファラオ:メリアムン・セテプエンラー(アレクサンドロス大王)の統治は長く続くことになります。
アレクサンドロス大王には信頼を置ける一人の部下がいました。
彼は、師アリストテレスの下で学んだ学友であり、共に戦を勝ち抜いたヘタイロイ部隊の一員、そしてアレクサンドロスの側近護衛官に任命された人物です。
彼の名を
“プトレマイオス”
この後、300年続くプトレマイオス朝を築いた人物です。
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