哲学

【韓非子⑮】体を動かすのではなくルールで動かす

哲学

【前回記事】

 

この記事では、中華戦国時代末期(紀元前403~紀元前222年頃)の法家である“韓非”の著書韓非子についてまとめていきます。

     

韓非自身も彼の書も、法家思想を大成させたとして評価され、現代においても上に立つ者の教訓として学ぶことが多くあります。

       

そんな韓非子から本文を抜粋し、ためになるであろう考え方を解釈とともに記していきます。

     

【本文】と【解釈】に分けていますが、基本的に解釈を読めば内容を把握できるようにしています。

     

今回のテーマは“臣は其の忠を陳(の)ぶるを得て蔽(おお)われず”です。

    

      

     

臣は其の忠を陳ぶるを得て蔽われず

【本文】

是(これ)に従(よ)りて観れば、則(すなわ)ち聖人の国を治むるや、固より人をして我が為にせざるを得ざらしむるの道有りて、而(しこう)して人の愛するを以て我が為にするを恃(たの)まざるなり。

  

人を愛するを以て我が為にするを恃む者は危うし、人の為(な)さざる可(べ)からざるを恃む者は安し。

  

夫(そ)れ君臣は骨肉の親しみに非ず。

 

正直の道以て利を得可くば、則ち臣の力を尽くして以て主に事(つか)えん。

 

正直の道以て安きを得可べからずば、則ち臣は私を行いて以て上(かみ)に干(もと)めん。

 

明主は之を知る、故に利害の道を設けて、以て天下に示すのみ。

 

夫れ是(ここ)を持って、人主は口百官に教えず、目姦衺(かんじゃ)に索(もと)めずと雖も、而(しか)も国已(すで)に治まる。

 

人主は、目離婁(りろう)の若(ごと)くにして、乃(すなわ)ち明と為すに非るなり、耳師曠(しこう)の若(ごと)くして乃ち聡(そう)と為すに非ざるなり。

 

目必ず其の勢いに因らずして、而も耳を待ちて以て聡と為せば、聞く所の者寡(すく)なく、欺かれざるの道に非ざるなり。

 

明主は、天下をして己が為に視(み)ざるを得ず、天下をして己が為に聡(き)かざる得ざらしむ、故に身、深宮の中に在りて、而も明らかに四海の内を照らし、而して天下を蔽(おお)う能(あた)わず、欺く能わざる者は何ぞや、闇乱(あんらん)の道廃れて、聡明の勢い興ればなり。

 

故に善く勢いに任ずる者は国安く、其の勢いに因ることを知らざる者は国危うし。

 

【解釈】

このように見てくると、聖人が国を治める際には、臣下が君主の為に働かざるを得ないようにする術がある。

 

臣下が愛情によって君主のために働くことを当てにしない。

 

臣が愛情によって働くことを期待する君主は危険であり、仕事をせざるを得ないようにさせる君主は安全である。

 

そもそも君臣の関係は血のつながった家族などではない。

 

だから清廉正直に努めて安利が約束されるなら、臣は力の限り君主に仕えるが、安利が得られないと分かれば、臣下は私利を計って君主の損となりえることもするのが自然である。

 

賢明な君主はそれを知っており、こうすれば利、ああすれば損という道筋を立て、それを公にする。

 

こうしてこそ、君主は、あの離婁(中国の黄帝時代にいた、非常に視力のすぐれたとされる人物)のように目が利かなくては明と言えない、という訳ではなく、またあの師曠(中国春秋時代の晋の平公に仕えた楽人。盲目だったが琴の名手)のように耳がよく聞こえないから聡と言えない、というわけではない。

 

君主が、もし術(規律)に任せて観察することをせず、自分の目に見える範囲で物事を捉えようとするなら、観察できることは極めて少なく、目を覆われない方法とは言い難い。

 

また、もし権勢を用いて情報を得ることをせず、自分の耳に入る情報のみで物事を聞き分けようとした場合も、得る情報は極めて少なく、耳を欺かれない方法とは言い難い。

 

明君は、天下の人全てがどうしても君主のためにその目とならざるを得ず、またその耳とならざるを得ぬように導く。

 

だから、その身が宮殿の奥深くにあったとしても、その眼光は四海の内に行き渡り、人々は何一つ隠せず、何一つ誤魔化せない。

 

君主の心が暗ましかき乱されるような習慣は取り払われて、君主が一切について聡明であることのできる条件が作り上げられたからである。

 

即ち、巧みに己の権勢に任せてその術を利用することのできる君主の国は安全であり、そうでない君主の国は危険である。

 

 

体を動かすのではなくルールで動かす

部下が働くようなルールを決めることが、安定した組織運営では大切ということを述べていますね。

 

間違っても部下の愛情なんてものを頼って、良い行動をしてくれるなんて希望的観測を期待してはいけないと言っています。

 

やってはならぬこととやって良いことを明確にし、臣下が働かざるを得ない状況を作る……。

 

そうすることで君主がその場にいなくても組織の状況を把握できるようにすることができ、法によって世を動かすことができると説いています。

 

自分が頑張るのではなく、システムに頑張ってもらうということですね。

 

自分が頑張っている内は組織の規模も高が知れているということでもあります。

 

賢い人であれば、システムを作って、それを運営するということに通じていますね。

 

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