歴史芸術

ウィーン磁器工房アウガルテン誕生〜アウガルテンの歴史③〜

歴史

 

【前回記事】

  

前回記事では、フランス革命前後のアウガルテンの衰退と隆盛をについてまとめました。

  

①デュ・パキエ時代

②マリア・テレジア時代(ロココ時代)

③新古典主義時代

④ビーダーマイヤー時代

⑤アール・ヌーヴォー時代

   

でいうところの、③新古典主義時代④ビーダー・マイヤー時代についてのお話ですね。

   

今回は現代に続く歴史の最後のポイントである⑤アール・ヌーヴォー時代についてまとめていこうと思います。

   

  

アール・ヌーヴォー、アール・デコ時代

アール・ヌーヴォーは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで広まった芸術様式です。

  

フランス語で“新しい芸術”を意味し、産業革命によって大量生産が可能になったこの頃、職人や芸術家の感性や技術を重んじようという動きを指します。

  

花や植物などの有機物をモチーフとした曲線美が特徴的です。

アール・ヌーヴォー様式のデザイン アールヌーヴォー建築家 グスターヴ・ストローヴェン より

  

アール・デコは、第一次世界大戦以降に流行った芸術様式です。

  

フランス語で“装飾芸術”を意味し、アール・ヌーヴォーに代わり台頭してきました。

  

直線美を意識した幾何学的な模様が特徴的で、シンプルで合理性のある表現が見られます。

アール・デコ様式のデザイン ブリュッセルストックレー邸 世界遺産オンラインガイド より

  

  

アウガルテン、一時閉窯

さて、ここからアウガルテンについて話を続けていきます。

  

フランス革命後に勢いを取り戻したウィーン磁器工房(アウガルテン)ですが、ハプスブルク家の衰退産業革命(廉価品の大量生産)によるシェアの縮小によって経営が悪化

  

1864年になると、一時閉窯になってしまいます。

  

フランツ・ヨーゼフ2世は、これまで続いてきたウィーン窯の技術を残そうと、ハンガリーのヘレンド窯に模様や成形技術の継承を許します。

  

現在でもヘレンドの製品アウガルテンと似た模様の製品があったりするのはこのためです。

アウガルテン ウィンナーローズ / ヘレンド ウィーンのバラ

   

そこから時が流れること1914年。

  

この頃に勃発した第一次世界大戦は、ドイツ帝国の敗北により終結。

  

同盟を結んでいたオーストリア・ハンガリー帝国の二重帝国体制が解体され、戦後の賠償などの負担から、ウィーンは経済的に困窮することになります。

  

  

ウィーン磁器工房“アウガルテン”へ名称を改める

ウィーン磁器工房アウガルテン

  

1924年、戦後の処理が落ち着いた頃、ウィーン磁器工房はかつてマリア・テレジア時代に作られたアウガルテン宮殿へ移されます。

  

この際、“ウィーン磁器工房アウガルテン”と名称を改めます。

  

工房の再始動とともに、閉窯前の型や技術が回収され、アール・デコ時代が始まっていきます。

  

ヨーゼフ・ホフマンをはじめとする若い芸術家たちが工房に携わり、過去の伝統を受け継ぐとともに、新しい意匠を生み出していきます。

  

その頃の代表的な作品が、“ウィンナー・ローズ”と“メロン”です。

  

アウガルテン メロンシリーズ

  

ウィンナー・ローズは、かつてハプスブルク家専用の食器“オールド・ウィンナー・ローズ”をモデルとして復活。

  

メロンは、ヨーゼフ・ホフマンによってデザインされたアール・デコを代表する作品です。

 

 

ヨーゼフ・ホフマン

ヨーゼフ・フランツ・マリア・ホフマン (1870~1956年)

  

ヨーゼフ・ホフマンはアウガルテン再興の立役者として知られる芸術家です。

  

オーストリア・ハンガリー帝国に生まれた彼は、軍事施設の建築に携わった後、ウィーンの応用美術学校に入り、オットー・ワーグナーやカール・ハーゼナウアーら巨匠のもとで学びました。

  

彼がデザインしたブリュッセルのストックレー邸に見られるように、アール・デコ的な直線を意識したデザインが特徴的です。

  

ブリュッセル ストックレー邸 sky ticket より

  

幾何学的作品が多いことから、ウィーン市民からは“スクウェア・ホフマン”とも呼ばれるようになった逸話もあります。

  

彼はワーグナーが提唱した総合芸術という概念に共感していました。

  

総合芸術は、音楽や歌、劇や舞台装置なども作品全体で一つの世界を表現しようとする考え方です。

  

ホフマンは、建築においてこの総合芸術を取り入れることに熱心でした。

  

その中の食器のパートナーとして、歴史があり、品質の違い工房であるアウガルテンを選びました。

 

工房の技術は彼の才能を最大限引き出し、メロン、デコヴィエナ、アトランティスなどの現代でも非常に人気のある代表作を生み出しました。

  

  

これらによってアウガルテンの磁器は広く知られていくことになっていきます。

 

現在でも伝統は守られ、全製品がハンドメイド、ハンドペイントで作られ、ハプスブルク家時代以前から続く製品の復刻も可能となっています。

 

  

まとめ

・ハプスブルク家の衰退と産業革命の煽りを受け一時閉窯

・戦後に復活した際に“ウィーン磁器工房アウガルテン”と名称を改める

・ホフマンら次世代アーティストによって現代に続くアウガルテンが形作られていく

  

以上、アウガルテンの歴史でした!

 

デュ・パキエがマイセン窯から流出させた技術が、マリア・テレジアを経て昇華、革命と戦争の波に飲まれながら現代のアウガルテンになっていったのですね。

  

また、ヘレンドとの関係も見られ工房同士が支え合いながらも歴史を紡いで来たことが分かりますね。

  

ここまでの記事を通して、マイセンやアウガルテンなど少しでも興味を持って頂けたら嬉しいです!

 

それでは今回はこの辺にて!

コメント

  1. Ichiro より:

    ヨーゼフ・ホフマンが師事したのは、音楽家の”リヒャルト”・ワーグナーではなく、建築家の”オットー”・ワーグナーです。

    以前調べたときに、何で音楽家が出てくるのだろうと思ったことがあります。

    • KTAG KTAG より:

      ありがとうございます!
      これは失礼しました。

      完全にコチラの勘違いです。
      訂正しておきますm(__)m

タイトルとURLをコピーしました