【前回記事】
この記事ではアダム・スミスの国富論を読み解いていきます。
見えざる手、自由放任主義……、どこかで聞いたことがこれらの言葉はここから生まれてきました。
経済学の始まりともいえる彼の著書を通して、世の中の仕組みについて理解を深めていただけたら幸いです。
前回は、労働と賃金について触れていきました。
土地が私有財産化されることで、そこで働く労働者は分け前を要求され、渡した分け前は賃金となって労働者に返ってきます。
しかし雇い主と労働者の間の契約では労働者が明らかに不利であり、賃金が引き上がることはほとんどない構造が出来上がります。
しかし、労働者の需要と供給バランスが良い方向に向かう、つまり労働者不足になると、賃金が引き上げられたりすることもあります。
そんな労働と賃金についてまとめた記事が前回の内容となります。
今回のテーマは“富と資本”についてです。
資本と富の関係、はたまた資本と賃金がどのように関係しているかを読み解き、アダム・スミスが分析した労働が持つ5つの性質についてもまとめていきます。
国の富と資本
〜引用 第一編 第九章より~
資本の利潤の上昇と低下は、労働の賃金の上昇と低下と同一の原因、すなわち社会の富が増加状態にあるか減少状態にあるかによる。
しかし、そうした原因が与える影響は、一方と他方とでは極めて異なっている。
資本の増加は賃金を上昇させるけれども、利潤を低下させる傾向がある。
多くの富裕な商人の資本が同一の事業に向けられるとき、彼らの相互の競争は自然にその事業の利潤を低下させる傾向がある。
同一の社会で営まれる様々な事業の全てで、同じように資本が増加する時には同じ競争がそれらすべての事業で同じ結果を生み出すに違いない。
利潤は極めて変動的なものであって、そのため、ある特定の事業を営んでいる人でも、自分の年々の利潤の平均がどれだけであるかを常に自ら語ることができるとは限らないのである。
利潤は、彼が扱っている商品の価格が変動するごとにそれに影響されるだけでなく、彼の競争者や顧客の運不運からも、また品物が海路か陸路かで運ばれるときに、あるいは倉庫に貯蔵されているときにさえ免れ得ない無数の他の偶発事からも、影響を受ける。
したがって、利潤は年々変動するばかりでなく、日々、いやほとんど刻々に変動する。
一大王国で行なわれている様々な事業全体の平均利潤がどれほどであるかを確かめることは、それより遥かに困難であるに違いないし、それが以前に、あるいは遠い時期に、どれほどであったかを判断することは全く不可能であるに違いない。
〜引用ここまで~
ある産業に資本が大量に投下されると、そこに雇用が生まれ、人手不足によって労働者の賃金が引き上げられることが主張されています。
前回の記事に続き賃金に関連した言及ですね。
その他の輸送や管理にかかるコストを支払うことにより投資家の利潤は減りますが、労働者をはじめとしてお金が回ることによって国の富は増えていくことを述べています。
一部の投資家がお金を溜め込むのではなく、社会の中で回るように配分することが富の増加に繋がるということですね。
利子と富
〜引用 第一編 第九章より~
ヘンリ八世37年の法律により、10%以上の利子は全て違法と宣言された。
それまではもっと多くの利子が徴収されることもあったようである。
エドワード六世の治世においては、宗教上の熱狂によって利子は全て禁止された。
しかし、この禁令は同種の他の全ての禁令と同様、何の効果も生まず、おそらく高利の害を減ずるよりはむしろ増したと言われる。
利子はアン女王12年の法律によって5%まで引き下げられた。
これら様々な法的規制は極めて適正に行われたように思われる。
それらのものは、市場利子率すなわち信用ある人々が通常借りる際の率に従ったもので、それに先行するものではなかったように思われる。
ヘンリ八世の時代以降、この国の富と収入は絶えず増加し、その増加過程で、両者の速度は減るよりむしろ徐々に増したように思われる。
労働の賃金は同じ期間に絶えず増加し続け、商業と製造業のさまざまな部門の大部分で資本の利潤は減少してきたのである。
〜引用ここまで~
利子があることで、事業信用のある個人に対してお金を貸しやすくなります。
適正な利子は、事業の発展、新たな雇用、お金の循環を生み、国家の富を増やしてくれる存在であるとスミスは分析しました。
一方、利子を完全に禁止した場合、大金を貸す際のリスクは大きいものになり、国家発展を大きく妨げてしまうことも指摘しています。
いくつかの宗教では教義として“利子をとることを禁止”しています。
お金のトラブルを避けるためにあると考えられますが、そのせいで国家全体の富が失われ、結果的にお金に困るという結果を招くというのも興味深い話ですね。
労働賃金の性質
〜引用 第一編 第十章より~
次の五つが、私の観察しえたかぎり、ある職業での金銭上の利得が小さいのを補い、他の職業で利得が大きいのを相殺する、主な事情である。
第一に、職業そのものの、快・不快。
第二に、職業の習得が容易で安上がりか、困難で高くつくか。
第三に、職業における雇用の安定・不安定。
第四に、職業に携わる人々への信頼への大小。
第五に、職業における成功の見込みの有無。
である。
〜引用ここまで~
労働者の需要、資本の大小によって受け取れる賃金が決まることは今まで述べてきた通りです。
ではどのような職業の需要が高く、良い支払いを受けているのか。
アダム・スミスは金銭上の利得における五つの要素としてまとめています。
これらについて引用するとかなり長くなるので、ここではそれぞれのまとめを要約してお伝えします。
①職業そのものの、快・不快
織物職人<仕立て職人<鍛冶職人<炭坑夫
当時の職業と稼ぎを比べると、織物職人よりも炭坑夫の方が稼ぎが良いとされています。
日中に作業ができ、不潔ではなく、危険が少ないほど、受け取る賃金が少ないという決まりがあるとスミスは主張しています。
例外として、名誉ある専門職(神学、法学、医学、など専門知識を要する職)では、名誉が報酬の大きな部分を成しているとされています。
またあらゆる職業の中で最も嫌とされる職業の中で、死刑執行人がありますが、これも例外的に普通のどんな職業よりも良い支払いを受けていたそうです。
②職業の習得が容易で安上がりか、困難で高くつくか
仕事をする能力のある機械は、その能力に見合うだけの資本を投入する価値があります。
その場合、機械が使えなくなるまでに、投入した資本は利潤をともなって回収される見込みがあります。
スミスは、労働者がスキルを身につけるためにお金や時間を使うのは、有用な機械を買うようなものだと言っています。
当時の無地の織物職人のように、専門的であるけれど簡単にどこでも身につけることができるスキルは、教育費や時間の割に受け取れる賃金多くありません。
逆に、独創的な芸術や知的職業の教育は、時間も費用もかかるため、画家や彫刻家、医師や法律家などは、かけたコストに見合う以上に豊かな補償があると述べています。
③職業における雇用の安定・不安定
多くの製造業は一年を通して安定した雇用があります。
しかし、当時で言うところの石工や煉瓦積みなどは、時期や季節や天気によって仕事の有無があるなど雇用の不安定さがあります。
雇用が不安定な職業は、安定した雇用の1.5倍〜2倍の稼ぎがあります。
そうした職業は、仕事がない間に自分を養うだけの余裕を持たなければならないため、自然に賃金が高くなる傾向にあるとスミスは分析しています。
④職業に携わる人々への信頼への大小
私たちは、自分たちの健康を医師に託し、財産や生命や名声を法律家や弁護士に託します。
このような信頼は、彼らの教育にかけられた長い時間や労力によって成り立つものです。
スミスは、蓄積していった信頼が彼らの報酬になり、社会的地位も与えると言っています。
⑤職業における成功の見込みの有無
ある青年を靴屋の修行に出すとします。
一足の靴を作れるようになるのはほとんど確実でしょう。
しかし、彼を法律家として勉強に出すとしたらどうでしょう。
当時の価値観では、一般的な法律家になるほどのスキルを身につけるのは、せいぜい20分の1程度だと推測されていました。
その職業に携わるレベルにまで習熟する成功率が低いほど、与えられる賃金が多くなるとスミス言っています。
他にも、ダンサーやオペラ歌手、俳優など、賞賛を得るために運や才能が絡むものも、それらのように高い報酬を得るとされています。
まとめ
・資本の増加は賃金の増加につながる
・一方、資本を回収する際の利潤の低下つながる
・利子は富の潤滑油
・労働賃金は5つの性質をもっている
①快・不快
②習得の難易度
③雇用安定・不安定
④信頼の大小
⑤成功の見込
以上、資本と賃金の関係についてまとめさせていただきました!
宗教上の理由で禁止されていることから、忌み嫌われていた利子ですが、富増加の要因になるというのはとても興味深いです。
中でもユダヤ教は、ユダヤ教同士で利子をとることを禁止していたため、異教徒への利子をつけて貸し付けることは問題ありませんでした。
その利子をコントロールすることで、ユダヤ人たちが莫大な富を築き上げたというのも納得できる話ですね。
労働賃金の性質も面白いもので、現代にもとても通じるものがありますね。
特に“信頼が賃金に関係する”というのはとても納得できます。
医師免許、弁護士資格などは信頼の証として免許制度があり、それまで学んできたことへの証明になります。
免許制度でなくても、それまで学んでいることやこれまでの実力の証明ができれば、信頼されて仕事が舞い込んだり、賃金の高い職場で働くこともできます。
場合によっては、学んだことから会社を興すことも可能でしょう。
学ぶこととそれを証明するということは、生きていく上でとても大切であることが分かりました。
【次回記事】
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