【前回記事】
この記事ではアダム・スミスの国富論を読み解いていきます。
見えざる手、自由放任主義……、どこかで聞いたことがこれらの言葉はここから生まれてきました。
経済学の始まりともいえる彼の著書を通して、世の中の仕組みについて理解を深めていただけたら幸いです。
前回は、ものの価値と需要と供給について触れていきました。
使用価値と交換価値があり、使用価値はもの自体が何らかの役に立つ価値、交換価値ものを他の何かと交換するもので、貨幣社会では貨幣と交換できる前提となっています。
交換価値は労働、地代、利潤によって決まり、貨幣で支払う際はこの三つに対して対価を払っているとスミスは主張しました。
また、需要と供給によって市場価値が決まり、市場価値はそのものの本来の価値である自然価格に向かうとされています。
彼はその次に、価値を生み出す労働者について国富論にてまとめています。
当時の労働環境や雇い主と従業者の関係などから、賃金についての考察をしています。
今回のテーマは“労働と賃金”についてです。
労働と賃金
〜引用 第一編 第八章より〜
労働の生産物は、労働の自然的な保証あるいは賃金を構成する。
土地の占有と資本の蓄積に先立つ、物事の原初的な状態においては、労働の全生産物は、労働者のものとなる。
彼には分かち合うべき、地主も親方もない。
もしこの状態が続いたのならば、労働の賃金は分業が引き起こす、労働の生産力のあらゆる改良につれて増大しただろう。
しかし、労働者が自分自身の労働の全生産物を享受した物事のこの原初的な状態は、土地の占有と資本の蓄積が最初に導入された後までで、続くことは不可能だった。
したがってこの状態は、労働の生産力に最も著しい改良が行われるずっと以前に終了したのであって、労働の保障を即ち賃金にそれがどういう影響を与えただろうかをそれ以上たどっても無益だろう。
土地が私有財産になるや否や、労働者が土地柄生産したり収集したりすることもできるほとんどすべての生産物について、地主が分け前を要求する。
全ての技芸や製造業において、職人の大部分は、仕事の原料と仕事が完成されるまでの彼らの賃金と生活維持費を、前払いしてくれる親方を必要とする。
親方は彼らの労働の生産物の分け前、つまり彼らの労働が原料に投下されて付け加える価値の分け前にあずかるのであり、この分け前が彼の利潤なのである。
~引用ここまで~
原始的な生活を営んでいた頃は、個人が生産したものはそれを生み出す労働をした個人のものであると言っていますね。
地主のような者が現れ土地が私有財産化されると、その土地で生産したものの分け前を要求されるというのが、ここで指摘されている内容です。
労働者が土地から収穫したり、収集したものに対する賃金が、本来の労働者の取り分となります。
しかし、土地代や地主が儲ける利潤によって賃金から差し引かれていくと、スミスはまとめています。
団結の禁止
〜引用 第一編 第八章より〜
普通の労働の賃金がどのようなものであるかは、利害が決して同じでない両当事者の間で通常結ばれる契約による。
職人はできる限り多く手に入れること、親方はできる限り少なく与えることを望む。
千紗は労働の賃金を引き上げるために団結しようとし、後者はそれを引き下げるために団結しようとする。
しかし、法律は職人達の団結を禁止しているのに、親方達の団結を認めており、少なくとも禁止していない。
我々には仕事の価格を引き下げるための団結を禁止する議会法はないが、それを引き上げるために団結を禁止する議会法は多い。
このような紛争の全てにおいて、親方達は遥かに長く持ちこたえることができる。
雇用されずに一週間生きていける職人は多くないし、ひと月生きていける職人は数少なく、一年間生きていける職人はめったにいない。
長期的には職人にとって親方は必要であるのに、たいし、親方にとって職人は必要だろうが、必要性はそれほど直接のものではないのである。
親方たちはまた、労働の賃金を、一定の率よりも引き下げようとして、特定の団結を結ぶこともある。
しかし、このような団結はしばしば職人たちの防衛的な団結の抵抗を受ける。
時には最もショッキングな暴力や乱暴に訴えることもある。
彼らは必死なのであり、そして必死の人々の愚かさや無謀さを持って行動する。
彼らは飢えるか、さもなければ親方たちを脅かして直ちに自分たちの要求を受け入れさせるかしかしなければならないからである。
こういった騒然とした、団結の暴力から何かの利益を引き出すことは極めてまれであり、こういう団結が、一部は官憲の干渉のため、一部は親方たちの頑強さが勝っているため、一般に首謀者の処罰か破滅という結末にしかならないのである。
~引用ここまで~
この頃、職人が団結して抗議することは法として認めないことが多く、逆に資本家をはじめとする雇い主が、職人に対して規制を行う法律がまかり通っていました。
1720年には仕立職人に対して、1725年には羊毛の梳毛工と織物工に対して、など職種別に団結禁止が立法化され、1748年にはさらに範囲が拡大していきます。
家族を養う必要がある職人にとっては自分達の生活に関わる重要な論点であったため、時には過激な方法で抗議する者たちが現れるのも必然のように感じられます。
スミスから見ても、明らかに職人が不利な立場であること指摘し、このような社会構造が賃金の引き下げの要因となっていると分析しています。
賃金が上がる条件
〜引用 第一編 第八章より〜
しかし、ある種の事情があって、それが時々労働者に有利に働き、彼らが自分たちの賃金をかなり高く引き上げることを可能にする。
賃金で生活する人々、すなわち労働者、雇い職人、全ての種類の使用人に対する需要がある国で、絶えず増加している場合、すなわち毎年、前年に雇用されたものよりも多数の者に対して雇用が与えられる場合には、職人たちは賃金を引き上げるために団結する必要がない。
人手の不足が、親方たちの間で競争を生む。
親方たちは職人を手に入れるために互いに競い合い、このようにして賃金を引き上げまいとする親方達の自然の団結を自発的に破ってしまうのである。
〜引用ここまで〜
雇い主は基本的に、労働者の賃金引下げのために団結することはあってもその逆はありません。
しかし、必要と認識された職種において働き手不足した場合、労働者への賃金を引き上げてでも、人手を確保するだろうと述べています。
現代でも、人手不足の職種に対して高い給料が支払われる構造は変わっていません。
そんな労働者の需要過多のジャンルに転職するため、スキルを身に着けるという選択肢も、彼の分析から学ぶことができますね。
まとめ
・かつては労働で得た生産物は労働した者が獲得するものだった
・土地が私有財産化されると、地主や資本家によって土地代や利潤を吸い上げる構造が出来上がる
・法律は雇い主有利、労働者不利であり賃金が引き下がることが普通
・ただし、労働者不足の場合は賃金が引きあがる可能性もある
スミスはこの章で、賃金の低い労働者にフォーカスして分析をしていきました。
収奪とは言わないまでも、搾取の構造はこの頃から問題となっていたことが分かります。
かつてのヨーロッパの労働環境と比べると現在は、法的にも人格的にもかなり整備されているよう感じます。
ただし整備された法や制度が活用できているかというとまた別の問題です。
補助金、助成金、給付金、節税……。
基本的には自分から情報をキャッチしにいかないと、その恩恵を受けることができないものばかりです。
当時の労働者が抗議すらできないという環境から比べると、労働者にとってはずいぶん生きやすい世の中になりましたが、その裏で実は損をしていることも沢山あります。
声を上げられるこの環境で、自分は何を活用できるのかを学び続ける意識があると、さらに生きやすくなるでしょうね!
【次回記事】
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