前回記事
この記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきます。
“子どもは子どもの教育が必要である”と考えたルソーの考えを、1記事に3つずつまとめていきます。
またそれらの言葉がこの本の要約にもなるようにまとめていきます!
「自分の意思だけで動ける私は、人間が持つことのできる自由を完全に持っている。」
私には馬で行くよりも愉快な旅の仕方は一つしか考えられない。
それは歩いて行くことだ。
私たちは、都合のいいときに出発する。
好きなときに足を止める。
うんと歩きたいと思えばうんと歩くし、そう歩きたくなければ少ししか歩かない。
私たちはその土地の全てを観察する。
私たちの心を惹くあらゆるものを調べてみる。
川が見つかれば岸辺に沿って進む。
茂った木立があればその蔭へ行く。
洞窟が見つかれば入ってみる。
私たちは御者や馬の都合に縛られない。
自分の意思だけで動ける私は、人間が持つことのできる自由を完全に持っている。
「大地が惜しみなく彼の目の前に繰り広げる財宝を、どうして調べてみずにいられるのか。」
歩いて旅をすることは、タレス、プラトン、ピタゴラスのように旅をすることだ。
哲学者たる者がどうして他の方法で旅をする気になれるのか、彼らが足で踏んでいく財宝、大地が惜しみなく彼の目の前に繰り広げる財宝を、どうして調べてみずにいられるのか。
少しでも農業を好んでいるなら、彼が通っていく地方の風土に特有の産物や、その栽培法を知りたいと思わない者があるだろうか。
博物学に少しでも趣味を持っているなら、土壌を調べもせずにある土地を、岩を削りとらずに岩山を、植物採集をせずに山の中を、化石を探さないで石塚を過ぎていく気になれるだろうか。
あなた方の気取った哲学者たちは、陳列室の中で博物学の研究をしている。
エミールの陳列室は王様たちの陳列室よりも豊富な標本がある。
その陳列室は地球全体なのだ。
「旅をしたいと思うなら、歩いて行くことだ。」
こういう楽しい旅行の仕方によってどれほど多くのさまざまな楽しみが寄せ集められることだろう。
健康がよくなり、気分が爽快になることは言うまでもない。
私はいつも見てきたのだが、確かに具合のいい、立派な馬車の中に収まって旅行している人たちは、いつも、物思いに沈み、暗い面持ちをして、ぶつくさ言ったり、苦しそうにしていたりする。
歩いていく人たちはいつも爽快で、足取りも軽く、あらゆることに満足している。
泊まる場所に近づいたときにはどれほど心が楽しくなることだろう。
粗末な食事もどんなに美味そうに見えることだろう。
食卓で休息しているときどんなに大きな楽しさを感じることだろう。
ゴツゴツしたベッドでどんなに安らかな眠りを貪ることだろう。
目的地に着くことだけを願っているなら、駅馬車で急ぐのも良かろう。
しかし、旅をしたいと思うなら、歩いて行くことだ。
まとめ
今回は旅の仕方についての考え方についての話でしたね!
前回エミールのテーマで取り上げた「だれひとり今日を生きようとはしていない。」の記事では、目標だけでなくその過程も楽しめるようになると良い、という旨の内容をまとめました。
旅の仕方についても同様に、道中に気になるものがあったら足を止め、好奇心に身を任せる……、という心意気で臨むことが人生を楽しむコツなのだと彼は言っています。
確かに自分の旅路を思い出すと、〇〇に行って楽しむということばかり考えてしまい、その途中にある魅力を見落としていたのかもしれません。
今度からは少しばかり気持ちに余裕を持たせて、回り道をしてみたり、途中で足を止めたりするのも旅の楽しみなのだと心得て行動してみようと思います。
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