神を信じ、神を否定する人生~ニーチェ①~

哲学
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今回から取り上げていくのは、超人、永劫回帰、ルサンチマンでお馴染みの哲学者ニーチェです。

  

神を否定し、自分は一体何者なのかという問いに一石を投じた彼の思想は、現在でも語り継がれるほどの影響力があります。

 

そんな彼がどのような影響を受けてニーチェの哲学に至ったのか…。

 

彼の人生をなぞりながら見ていきます。

  

フリードリヒ・(ヴィルヘルム)・ニーチェ(1844~1900年)

 

  

ニーチェの生い立ち

ニーチェは1844年10月15日、プロイセン王国の小村リュッケンに生まれました。

  

生まれて間もなくプロテスタントとして洗礼を受け、国王のフリードリヒ・ヴィルヘルムの名を授かりました。

  

父は敬虔な牧師で、あらゆる徳を身につけた人物と評されていました。

 

ニーチェはを最も尊敬する心の支えとして慕っていましたが、彼が5歳のころに末期の脳の病気と診断され死去

 

その翌年には生まれて間もない2歳という若さでこの世を去ってしまいます

  

なぜあれほどまで神に仕えた父が死ななければならないのか、なぜ善悪も分からない弟が死ななければならないのか…。

  

当時のニーチェにはこの不条理さが理解できませんでしたが、この辛い経験は後に彼が神の存在に疑問を持つきっかけになっていったとされています。

  

若いころのニーチェ

 

  

学生時代の成長

その後ニーチェは宗教教育で有名なナウムブルクの学校に入学します。

  

小学校の頃を綴った彼の手記には、父が死ぬ前の幸せなひとときや、学校で遠足に行った際の思い出が記されています。

  

また、自分が困難を乗り越えられてきたのは“神の導きがあってこそ”だとも考えていたようで、この頃はまだ神を信仰していたことが分かります。

  

ドイツの名門校から誘いが来るほど、国語や音楽の能力に長けていたニーチェ。

 

青年時代には古典哲学や作詞作曲にも携わり、詩や音楽のサークルを立ち上げ、その中心人物として活躍するなどしていました。

 

学校を卒業すると、彼はボン大学に入学して神学部に籍を置きます。

   

しかし、彼が最も興味を持ったのは古典文献学の研究でした。

 

ボン大学(ドイツ)

  

彼が第一学期を終える頃には既に神学の勉強をやめており、教会が行う復活祭にも出席しなくなっていきます

  

そして彼は母に神への信仰を放棄したことを告白し、古典文献学者として言語学を学びはじめたのです。

 

  

リッチュルとの出会い

フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(1806~1876年)

  

彼の人生に転機が訪れたのは、ボン大学にて古典文献学の研究をしていたリッチュル教授と出会ってからでした。

  

リッチュルはニーチェの秀でた知性を見抜き、古典文献の実証の方法や批判の仕方を学ばせました。

 

その後リッチュルがボン大学からライプツィヒ大学へ転属したことをきっかけに、ニーチェもライプツィヒ大学へ転学します。

  

このライプツィヒ大学での生活は彼の思想を形成する上で欠かせない期間となりました。

 

  

キリスト教と苦痛

既にキリスト教の世界から身を引いていたニーチェ。

  

ではこの世に存在する苦痛や苦しみをどう理解すればいいのか…。

  

彼はライプツィヒ大学時代からこのことを考えていました。

 

そんなとき彼が偶然手にしたのは、ショーペンハウアーの主著“意志と表象としての世界”でした。

 

アルトゥール・ショーペンハウアー(1788~1860年)

  

厭世主義(この世を悲観的に考える主義)であるショーペンハウアーの哲学は、“生きることは苦痛である”と説いています。

  

そしてその苦痛から開放される手段として、芸術に触れることや禁欲することが必要と考えていました。

  

ニーチェがキリスト教を離れた後、この世の苦痛を説明する手段としてショーペンハウアーの思想が取り入れられていくのです。

 

  

ワーグナーとニーチェ

彼の思想に大きない影響を与えた人物がもうひとりいます。

  

ドイツの作曲家で楽劇王の名で知られるリヒャルト・ワーグナーです。

  

リヒャルト・ワーグナー(1813~1883年)

  

ショーペンハウアーが芸術に寄り添うことは苦痛から逃れる手段の一つと言ったように、ニーチェがこの世の苦痛から逃れる方法として考えたのも芸術(特に音楽)でした。

 

ライプツィヒ大学の在学中リッチュルの紹介によって、ワーグナーとニーチェが面識を得られたことがありました。

 

それ以降ワーグナーの音楽にのめり込んでいったニーチェは、彼の歌劇から感じる古典ギリシャ文学の魅力に取り憑かれてきます。

  

ワーグナー本人と音楽と哲学について語り合った経験から、ワーグナーの音楽はキリスト教以前の世界の理想を表していると考えはじめます。

  

“宗教的な信仰ではなく本来の理想とは一体何なのか…。”

  

それ以降ニーチェは、これについて徹底的に向き合うようになります。

  

ショーペンハウアーやワーグナーとの出会いは、ニーチェの哲学の方向性に大きな影響を与えていったのです。

 

続く…。

  


  

というわけで始まりましたニーチェの哲学。

  

はじめは彼の人生の一部を覗いていく感じでいきます。

  

幼少期には父と弟の死という悲しい出来事がありましたが、その後は勉学にも励み、学校でも中心的存在になり、芯の通った考え方も身についていきました。

  

ちなみに学校ではどんなときでも規則守り、模範的な生徒であったといいます。

  

どれだけ模範的だったかというと…。

  

大雨の降る学校帰りのとき、他の生徒は雨に濡れぬよう走って帰っていきましたが、ニーチェは頭にハンカチを乗せて歩いて帰宅したそうです。

  

母がなぜ走って帰らなかったのかと言うと、彼は「学校の規則で走って帰ってはいけないと決まっているから。」と答えたそうです。

  

ちょっとここまでくると怖いくらいですね…。

 

そんなニーチェの後半の人生は次回の記事にてまとめていきます。

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