私が消えたら世界も消える~ショーペンハウアー②~

哲学
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の続き…。

 

前回記事ではショーペンハウアーとヘーゲルの関係について触れていきました。

 

ヘーゲルが言う「正反合に従って進歩する」という歴史観に対し、

 

ショーペンハウアー「単に生への意志によって争った結果である」と独自の思想をぶつけました。

 

今回はそんなショーペンハウアーが持っている哲学思想について触れていきます。

 

まずはショーペンハウアーの思想に大きく影響を与えたと言われるカントとプラトンの哲学をみていきます。

 

 

カントの哲学

イマヌエル・カント(1724年~1804年)

対象は認識に従う。

イマヌエル・カントは、「対象は認識に従う。」と主張し西洋哲学界に嵐を巻き起こしました。

  

それまでの哲学は、“対象を見て真の姿が何なのか”を追求しようとしていました。

 

しかしカントは

 

「物や事象は人間の感性がぼんやりと捉え、悟性(理性)で概念を当てはめているだけであり、本当の“モノ”としての見ていない。」

「そしてその真の姿はだれも知ることはできない。」

 

と言いました。

 

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目の前で見ているものや起こっている現象がそもそも違うという考え方は、正に天動説が地動説に変わったようなことから、コペルニクス的転回と呼ばれています。

 

 

プラトンの哲学

プラトン(前427~前347年)

この世はイデアの一部を模倣しているだけ。

プラトンはこの世界の外に完全無欠なる世界(イデア)があると考えました。

 

この世界はそのイデアの一部を模倣しているに過ぎないと主張しました。

(詳しくは→【哲学】人は生まれたときにイデアの全てを忘れている~イデア~

 

 

・真の“モノ自体”は別にある

・その一部しか見ることができない

 

という点ではカントの哲学もプラトンの哲学も似ていることが分かります。

 

 

ショーペンハウアーの哲学

ショーペンハウアー(1788~1860年)

世界は私の意志と表象である。

今の世界にはスマホやテレビなど身近なものから、意識せずとも起こる自然現象など様々なものや事柄が存在します。

 

ショーペンハウアーはこの認識できる物や事を、“表象”という言葉で表現しました。

 

そして

「世界は私の意志と表象である。」

と言いました。

 

人間が認識できない真のモノを、私という主観的な物が直感しその人の認識によって世界を見ている。

 

だからモノ自体を認識する私が消えれば、これらの表象は失われこの世界も消える

  

と考えたのですね。

 

ショーペンハウアー
ショーペンハウアー

私の表象が消えた。

誰かがこの世から一人消えただけで世界が消えるの?

 

…と思いますが、彼が言いたいことはそうではありません。

 

今あなたが見ているスマホやPCはあなたの直感によって触った材質や映った光を感じ、あなたの理解によってそう見ているだけで本当の姿は分からない…。

 

あなたが認識する世界と、誰かが認識している世界が同じとは限らないということを伝えています。

 

極端かもしれませんが、私には私の世界が、あなたにはあなたの世界があるということ考えられます。

 

認識の根拠となっている私が死ねば、私が認識していた世界は消え去るということですね。

 

ショーペンハウアーはこの状態を

「私の表象が消えた」

と表現しました。

 


 

ショーペンハウアー第二回目の記事、いかがでしたでしょうか。

 

カント、プラトンと続いてショーペンハウアーの哲学に触れました。

 

彼は人の認識によって世界は変わっていくと考えましたが、その認識の大本である“モノ自体”とは何なのかを追求しようとします。

 

次回も引き続きショーペンハウアーの哲学を深堀りしていきます。

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