サウル王とダビデ
いわゆる旧約聖書の話、イスラエルを率いた王にサウルという人物がいました。
神に選ばれたサウル王は、民を率いて幾多の戦いに勝利してきました。
しかし、一度だけ「アマレク人とそれに属する者たちを滅ぼせ」という神の言葉に従わなかったことがあり、王としての資質を失ってしまいます。
このことで酷く落ち込んだサウル。
その傍ら、気を休めるためにそばに置いておいた竪琴師がいました。
それがダビデです。
ダビデベツヘレムという町に住む羊飼いの少年でした。
8人兄弟の末っ子で、容姿は美しく身体も健康そのもの、力も強く頭もキレる人物でした。
勇者ゴリアテ
このときイスラエル人は、ペリシテ人との戦争の真っ最中でした。
戦況は全く進展せず、お互いに膠着状態でした。
あるとき、サウルの息子ヨナタンがペリシテ軍の守備隊を打ち破ったことをきっかけに、戦況はイスラエル側へ傾きます。
ペリシテ人もこれに対抗するように、最終兵器を投入します。
ゴリアテです。
ペリシテの勇者ゴリアテは、身長は約3メートル(292cm前後)、大人一人分はあろう重さの鎧を身に着け、7kgもある槍を容易に操り、矢も槍も通さない盾を持っています。
ゴリアテは言います。
俺との一騎打ちで負けた方が、勝った方の奴隷になるのはどうだ?
この呼びかけに応じる者はもちろん出て来ませんでした。
ダビデの申し出
ゴリアテの一騎打ちにまたも戦況は動かなくなり、日だけが過ぎていきました。
あるとき、ダビデが戦争に出ている兄のために食料を届けた際、ゴリアテの話を聞きます。
ゴリアテを倒した者には莫大な報酬が得られることも聞き、この一騎打ちに応じると声を挙げました。
ダビデはサウル王にゴリアテと戦わせて欲しいと申し出ます。
サウル王はもちろんこの申し出を却下。
しかしダビデは、食い下がりこう言います。
羊をさらった熊を倒したときも、獅子を屠ったときも神が味方をしてくれました。
きっとあの巨人のときも味方してくれるはずだというダビデの言葉に王は心を動かされ、申し出を了承を得ました。
ダビデとゴリアテ
ここから先は知っての通りです。
ゴリアテがいつもように、
今日も俺と一騎打ちをするものはいないのか!
と声を挙げます。
しかしこの日だけは違いました。
ダビデが、己が一騎打ちに応じると名乗り出たのです。
ゴリアテは、そんな小柄な少年がどう戦うのかと笑い飛ばしました。
そんなことはお構いなしにダビデは、投石袋から石を取り出し、石投げ紐で石を飛ばしました。
石は巨人ゴリアテの額にのめりこみ、ゴリアテは倒れました。
そして彼の意識が朦朧としている間に、首を刎ね見事打ち取るのです。
それは勇気を出して巨人を倒したというだけでなく、神に選ばれた者として次の王となる資格をもつ証でもありました。
美術としてのダビデとゴリアテ
このの物語は、絵の題材として多く取り上げられてきました。
後半ではダビデとゴリアテが美術としてどのように描かれてきたのかを見ていきます。
レーニは淡麗な顔立ちや健康的な肉体など、少年の美しさを全面に出しました。
カラヴァッジョの影響と思われる額に傷のあるゴリアテと明暗の対比を使って表現しています。
カラヴァッジョは口を固く結んで勇ましく首を持つダビデ、そして斬首されたゴリアテを自画像として描きました。
自画像を斬首された首として描いたのは、彼が喧嘩の末に人を殺してしまった際、懺悔の気持ちを込めて描いたとされています。
額の傷はナポリ滞在中に彼が受けた傷を再現しています。
また彼は合計で3枚の「ダビデとゴリアテ」を描きました。
いずれもゴリアテはカラヴァッジョの自画像となっています。
オラツィオ・ジェンティレスキはダビデとゴリアテの戦いを正義と悪として描きました。
明を正義のダビデとして、暗を悪のゴリアテとして表現し、死んだゴリアテを前に瞑想をしている姿を描きました。
オスマール・シンドラーはダビデとゴリアテが対峙するシーンを描きました。
ゴリアテを含め、ペリシテ人だダビデを指差し笑っています。
「大丈夫かい?坊や。石ころで遊ぶのかい?」
などと言っているのが容易に想像できます。
これから起こる出来事を知っていると、更に面白い絵に見えます。
コメント