神を信じる人もそうでない人も、その存在ついて論じることは多くあります。
アリストテレス以来、多くの哲学者が神の存在を証明しようとしてきました。
神の存在証明
哲学者が考えた神の存在証明は、大きく分けて3種類あります。
①本体(存在)論的証明
1つ目は本体論的証明というものです。
中世の哲学者カンタベリー・アンセルムスの考えを起源としています。
本体論的証明はの基本的な考えは以下の通り。
神は最高完全者である…A
存在することは、存在しないことより完全性が大きい…B
もし神が存在しないならば、神は存在という完全性を持っていないことになる…C
B、Cより…、よって神は存在する
なるほど…。
存在というものがある以上、完全的な存在者である神もいるハズだと考えたのですね。
②宇宙論的証明
2つ目は、宇宙論的証明です。
トマス・アクィナスは、アリストテレスの概念をキリスト教に当てはめて証明を行いました。
証明の基本的な考え方は以下の通り。
宇宙の中で何かの運動(事象)が起こるとき、必ず「原因」がある。
その「原因」となったことも、突き詰めると「さらなる原因」がある。
しかし、これらの「さらなる原因」は「無限」ではない。
「無限」ではないのであれば、「究極の第一原因」がある。
この「究極の第一原因」こそ「神」である。
現代ではポピュラーなビッグバン説でいうと、無からビッグバンが発生したことから宇宙が始まった。
では無からビッグバンを起こしたのは…、はっ!神か!
みたいな感じで解釈してます。
③本体論的証明
3つ目は、デカルトらが唱えた本体論的証明です。
この証明には色んな種類がありますが、根本的な部分をかいつまんで記していきます。
基本的な考え方は以下の通り。
・第一証明
神という無限的な存在について、なぜ有限である私たちが考えることができるのだろうか。
それは神が人間に神(無限)という概念を与えてくれたからである。
この概念が無ければ、神を考えること自体不可能なはずである。
・第二証明
我々はこの世の継続と連続の中で存在することができる。
継続せず存在できるものはない。
記憶を断片的に思い出せるように、一瞬一瞬の時間すらも分断されているものが続いている(継続している)に過ぎない。
この継続を司り、存在を保持しているものこそ神である。
・第三証明
全ての観念や概念は、完全な存在である神に由来する。
「神はいない」と定義付けると、神の存在性が失われ前提が崩壊してしまう。
よって神は存在する。
う~む…、第三証明は…難しいですね。
この詭弁ともとれる証明については、当時においてもデカルトに対して反論するものも多く、その反論に対し彼は自分の哲学を貫いて論争していたようです。
神こそ唯一の存在と考えた彼らが、その存在を疑うのは当然だと思います。
また事象を突き詰め、科学の発展にも密接関連している哲学を学ぶもの、また面白いですね。
それにしてもトマス・アクィナスさん、随分と人相が変わっていますね。
一体彼に何があったのでしょう。
今日はそんな疑問を残してサヨナラです。
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