【前回記事】
ダーウィンの晩年
『ミミズと土』の執筆を最後に、ダーウィンの体力は限界に達していました。
趣味だった詩や音楽からも離れてしまい、散歩するにも杖を使って歩くので精一杯な状況でした。
しかし、研究への熱は冷めることはなく、科学界のご意見番として一般法則を導き出すための短い論文を書き続けることはやめませんでした。
エマは結婚当初から変わらず、ダーウィンをサポートする姿勢を崩しませんでした。
「研究のせいで死んでしまうとしても、夫にとっては好きなだけ研究をして死んだ方が良い選択なのです」と述べ、ダーウィンの研究に支障がないように来客数を制限したり、過労がたたらないように共に療養に出かけたりしました。
ダーウィンは次第に、度重なる心臓発作に襲われるようになり、生命活動の限界が来ていたことが明らかでした。
1882年4月19日、ついにその日は来ました。
危篤の知らせを受け駆けつけた息子フランシスとその妻、そして最愛の妻エマの腕の中で、彼は静かに息を引き取りました。
享年73歳でした。
彼の遺体は当初、夫婦で過ごしたダウン村の教会墓地に埋葬される予定でしたが、科学者たちの働きかけによってウェストミンスター大聖堂にて国葬されることになりました。
彼の生き様は既に、国中が認めるまでになっていたのです。
ダーウィンの墓は現在、スティーブン・ホーキング博士アイザック・ニュートンら英国の偉人らとともに並んでいます。
進化論と創造論による論争
1日目、神は天と地をつくり、「光あれ」という言葉によって光が生まれ、昼と夜とが分けられた
2日目、神は天(空)をつくられた
3日目、神は大地をつくり、海が生まれ、地には植物が芽生えた
4日目、神は太陽と月と星をつくられた
5日目、神は魚と鳥をつくられた
6日目、神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた
7日目、神はお休みになった
神によって宇宙をはじめとする世界が創造され、生物が満ちる世界となったと考える創造論。
これと対立するとも言える理論が、ダーウィンをはじめとしラマルクやライエル達によって紡がれてきた進化論です。
その進化論でさえ、生物の根源を辿ろうとするとその発生源を探ることになり、地球の始まり、果ては宇宙の起源にまで達します。
彼らの生物学が必ずしも創造論を否定してきた訳ではありませんが、現在でもその論争は尽きることがありません。
しかし、その口火を切ったのはダーウィンによる密な観察研究によって理論付けられた進化論であり、議論を加速させたのは、後に発見される化石や地層の変化の証拠など、生物や地球が活動してきた証によるものです。
どちらが正しいのか、はたまたどちらも正しくないのか……。
実は創造したのは神で、生物が勝手に進化していったのか……。
何を信じるのかは人それぞれですが、エマの言う通り「進化しているところを見ていない」し、神が何かを創造したところも見ていません。
とは言えこの世は生命で溢れています。
いつかそういった生き物達から、発生の起源が分かるといいですね!
ウェッジウッド「ダーウィンリリー」
19世紀の陶磁器ブランド「ウェッジウッド(WEDGEWOOD)」で生み出された作品に『ダーウィンリリー』というものがあります。
もちろんチャールズ・ダーウィンにちなんだデザインで、睡蓮がモチーフになっています。
義父のジョサイア・ウェッジウッド2世の兄であるジョン・ウェッジウッドによって作られました
現在、このモデルを手に入れることは難しいですが、姉妹モデルの『ウォーターリリー』は比較的手に入り易いです。
↓
ちなみにこのモデルは、ダーウィンの母スザンナが結婚した際に記念として送られたモデルだそうです。
さらに言うと、それらの種の最新モデル『ワンダーラスト ウォーターリリー』もあります。
こちらは正に生命の器といった感じで、睡蓮とともにサギやチョウ、トンボが描かれています。
磁器好きであり、ダーウィンについてもまとめたとなってはこのデザインを紹介せずにはいられませんでした。
このデザインは店頭などでも見かけることがあるので、もし目にした際は是非お手にとってみてください。
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