前回記事
このテーマの記事では、ジャン・ジャック・ルソーが著した“エミール”から、子育てや生活に役立つような言葉を抜粋して紹介していきました。
それもこの記事で最後。
今回こそが本当に“エミール”の最終回となります。
エミールの最後はどうなるのか……。
まずは前回のまとめからです。
前回のまとめ&社会契約論の復習
前回、エミールは、ルソーが語る“社会契約”について、旅をしながら学んでいきました。
かつて人類は自由であり、お互いを尊重し合う“自然状態”であったとルソーは考えていました。
しかし、生存するために自尊心が生まれることで競争が起こります。
ものや土地、財産の所有が生まれ、力のある者がそれを守るために都合のいいルールを決める……。
それらが助長された姿が、エミールとルソーが旅をした当時の国々でよくみられました。
そんな中で自由を得るにはどうすればいいのか……。
ルソーは各々が社会契約を結び、力ずくで何かを奪う権利を制限する必要があると言っています。
契約において、個人の能力差を認め、市民としての自由や財産の所有権などを平等になるとされ、社会契約こそ自由で平等な社会の原理であると述べています。
また、個々の利益ではなく公共の幸せを目指すことが必要と述べ、その目的に達するための考え方を“一般意思”と呼びました。
一般意思において政府が置かれ、法が整備されることで社会契約を持続させる土壌が出来上がるとも言っています。
このようにエミールは、ルソーの社会契約論を通して、現在における民主政治の一端に触れていたことが分かります。
社会契約論の復習はここまで!
ここから先はエミールのストーリーをまとめていきます。
エミールとソフィーの再会
もう終わりにしなければならない。
エミールをソフィーのところへ連れて帰ることにしよう。
彼は、旅に出る前に劣らない優しい感情に満ちた心を持って、あの頃よりも更に聡明な精神を持って、彼女のとこへ帰っていく。
また色々な政府のあらゆる不徳と、色々な国民のあらゆる美徳を知ることになったという効果を収めて、自分の国へ帰っていく。
もう二年近くを、ヨーロッパの大陸をいくつかと、多くの小国を見て回ることに費やした。
外国の言葉、自然、政治、芸術、人物に見出される本当に珍しいものを見た後、エミールは約束の期限が迫っていることを私に注意する。
そこで私こう言う。
「では、友よ、あなたは私たちの旅行の主な目的を忘れはしまい。あなたは見てきた、観察してきた、結局、あなたの観察の結果はどういうことか、これからどうするつもりか。」
エミールは答える。
「私はあなたが育ててくれたものとして生きていく、そして自然と頬が私に与えている束縛に好んで他の束縛を付け加えるようなことはしない。」
「私が求めているもの、それは、そう広くない一片の土地。」
「私を束縛するものは一つしかない。私はその束縛だけをいつまでも受けるつもりでいるし、それを自分の名誉と考えることもできる。」
「私にソフィーをください。そうすれば私は自由になるのです。」
「夫婦になってからも恋人同士でいることだ。」
やがて私は、エミールの人生の最も魅力のある日、私の生涯の最も幸福な日が訪れるのを見る。
私の仕事が完成されるのを見、その成果を楽しむことになる。
立派な2人は解くことのできない絆によって結ばれる。
二人の口は、決してむなしいことにならない誓いの言葉を述べ、二人の心はそれを確認する。
二人は夫婦になったのだ。
結婚の当日、新婚の夫婦に対して適切にふるまうことを心得ている人は非常に少ない。
ある者は重々しい、もったいぶった態度をとりある者は軽口を聞いているが、これはどちらもその場にそぐわないことだと思う。
私はむしろ若い二人をそっとしておいた方がいいと思う。
静かに自分たちのことを考えさせ、充分に魅力のある心の動揺を感じさせておいた方がいいと思う。
残酷にもそういうことから、ふたりの心を恐れさせ、上辺だけの礼節で嫌な思いをさせたり、悪い冗談で困らせたりしてはならないと思う。
そういう冗談は別の機会にはいつでも2人に喜ばれることであっても、こういう日には必ず迷惑に感じられる。
私はというと、二人にこういう貴重な日を空しく過ごさせるようなことをするだろうか。
そんなことはしまい。
二人を悩ませている、慎みのない人々の群れから彼らを引き離し、遠く離れた所へ散歩へ連れて行き、彼ら自身のことについて話してやる。
「私の子供たち、3年前、私はあなた方に、今日の幸福をもたらした、強い清らかな愛が生まれるのを見た。
それは絶えず激しくなっていくばかりだった。
あなた方の目を見れば、それは今もこの上なく激しい状態にあることがわかる。
これからはそれはもう弱まるだけだろう。」
読者よ、あなた方もエミールが興奮し、逆上し、そんなことはないと断言している様子が分かるだろう。
軽蔑した面持ちで私の手を振り抜けるソフィーの姿が見えるだろう。
そして最後まで愛し合うことを、二人の目が互いに優しく誓い合っているのが見えるだろう。
私は二人の好きなようにさせておいてから、また話をはじめる。
「私は度々考えたのだが、結婚してからも長く愛の幸福を持ち続けることができるなら、それは正しく地上の楽園だろう。
そういうことは、これまで1度も見られなかった。
しかしそれが全然不可能なことでないとしたら、あなたがたは、誰にも見せてもらえなかった範例を示すのにふさわしい夫婦だ。」
「あなた方は、そのために私が考えついた方法、それだけが有効だと思われる方法を教えてもらわないと思わないかしら。」
二人は笑みを浮かべ、顔を見合わせ、私の言葉の変なのを笑っている。
離れた心を取り戻す術はほとんどないが、私の知っている愛の冷却を防ぐ処方について話そう。
私は二人にこう言ってやる。
「それは簡単だ、優しいことだ。夫婦になってからも恋人同士でいることだ。」
その秘訣を聞いて、エミールは笑って言う。
「なるほど、そういうことなら私達にはそう辛いことではないでしょう。」
私は言う。
「ひもをあまりに固く結ぼうとすると、ひもは切れる。
結婚の絆にも、ふさわしい力よりも大きな力を与えようとすると、そういうことが起こる。
結婚が夫婦に銘じている忠実さは、全ての権利の中でも最も神聖なものだ。
しかし、結婚が二人のどちらにも与えている相手に対する権力は余計なものだ。
矯正と愛は両立しないし、快楽は強いられるものではない。
楽しむことではなく、強いられることが、飽き飽きした思いをさせる。
結婚によって心は結ばれても肉体は縛られはしない。
あなた方はお互いに忠実でなければならないが、ご機嫌をとる必要はない。
二人とも、相手とは別の者に体を許すことはできないが、どちらも自分の気の向いた時でなければ、相手にも体を許すべきではない。
互いに相手のものになりきっていれば、自然と愛は、あなた方を十分に近づけることになる。」
しばらくそういう話をした後、婚礼の儀は終わりを迎えた。
日が経ち、少しずつ始めの頃の興奮は収まって、二人は新しい境遇の魅力を落ち着いて楽しめるようになる。
幸福な恋人たち、尊敬すべき夫婦その美徳を称えようとすれば、その幸福を描こうとすれば二人の生涯の物語を書かねばなるまい。
幾度私は、彼らの中に私の作品を眺めながら恍惚に捕えられ、胸を弾ませている自分を感じることか。
地上に幸福というものがあるなら、私たちが暮らしている隠れ家にこそ、それを求めなければならない。
「もうその時が来たのです。」
何ヶ月か経って、ある朝、エミールはわたしの部屋に入ってきて、私を抱擁して言う。
「先生、あなたの子を祝福してください。
あなたの子は間もなく父親になろうとしているのです。
ああ、私達は熱意を込めて、重大な仕事をしなければならなくなる。
私たちにはどれほどあなたが必要になることだろう。
父親を育てた後で、また子供をあなたに育ててもらうようなことを私はしたくない。
たとえ私のために選ばれた人と同じような人を、私が子供のために選ぶことになるとしても、そういう神聖な快い義務がを私以外のものによって果たされてはならない。
しかし、若い教師たちの先生になっていてください。
私たちに助言を与えてください。
私たちを指導してください。
私たちは素直にあなたの言葉に従うでしょう。
生きている限り私はあなたを必要とするでしょう。
今、私の人間にふさわしい役目が始まる時、私はこれまでのどんな時よりもあなたを必要としている。
あなたは、あなたの役目を果たした。
あなたは見習わせてください。
そして、休息してください。
もうその時が来たのです。」
[完]
終わりに
ジャン・ジャック・ルソー著「エミール、または教育について」、いかがだったでしょうか。
なるべく文章の意を崩さないようまとめたつもりです。
最初にエミールの内容を記事にし始めたのが去年の10月20日。
1年以上かかってやっと書き終わりました。
当初は名言集のように一言二言で終わらせていたのですが、半年過ぎたあたりから名文集のように文章が長くなってしまいました。
けれどどれも含蓄深い言葉であり、生きる上での教訓になります。
中でも印象深かった言葉は、「一日に百回転んでもいい。それだけはやく起き上がることを学ぶことになる。」という言葉です。
失敗させないために大人があれこれするのではなく、敢えて失敗をさせて学ばせることが大切という意味が含まれています。
大人は招かざる最悪の状況に備えて準備をすればいいという、ルソーならではの消極的教育ですね。
過去の記事では、そんなエミールに記された120の言葉を厳選し、それを補足する前後の文章でまとめています。
気になる方がいましたら、何かしらの記事にて一つ言葉をつまんでくれると嬉しいです。
さて、これで自分もエミールとお別れにしましょう。
ルソーと共に歩いたとは言えませんが、彼が著した「エミール、または教育について」を読み切れたことに、エミールの最後をここにまとめられたことに感謝します。
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