母は強し 後編~野口英世②~

歴史
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の続き…。

 

  

母シカと野口英世のツーショット

シカ、一人になる

シカが10歳の頃、祖母が病気で倒れます。

  

女将さんも薬代としてお金を前借させて貰えるように計らいますが、甲斐なく祖母が他界。

  

遂にシカは一人ぼっちになってしまうのです。

  

その頃から祖母が信仰していた観音様に祈りを捧げるようになります。

 

  

帰ってきた家族達

その頃、まるで観音様に祈りが通じたような事柄が起こります。

  

何と祖父岩吉と母ミサが帰ってきたのです。

  

帰ってきた家族を離れさせまいと、より一層働くことを決心するシカ。

  

翌年には父善之助までもが帰ってくることになり、野口家は賑わいを取り戻していきます。

  

この頃戊辰戦争が勃発し、三城潟や会津方面も戦場となりますが、野口家は隣の家が焼けたにもかかわらず無事に残っていました。

  

これらの出来事によって、彼女はますます観音様への感謝を強めていくのです。

 

  

飢饉においてもシカは強し

戊辰戦争とその翌年、野口一家の住む三城潟は凶作が続き飢饉に見舞われます。

  

その惨状と言えば、道端の草すら食べ尽くす有様だったそうです。

  

そこでシカは、少し離れにある会津方面の村に目を付けました。

  

会津盆地の農作物は凶作という程の打撃が無かったため、その方面の村の作物を分けて貰おうと商いを始めたのです。

  

彼女は当時地元で作られていた、“付け木”(火種を移す薄い木の皮)を仕入れ会津の村を廻ろうと考えたのです。

付け木

  

そんなシカの考えは大当たり、お金だけでなく野菜やお米とも交換することができ、野口家は余裕のうちに飢饉を脱していきました。

  

その商売の才覚は、村の男たちが挙ってシカに商いの教えを乞う程でした。

 

  

シカの結婚

シカが19歳の頃、奉公先の二瓶橘吾家の紹介によって婿佐代助(さよすけ)を迎えます。

  

男手が増えて、シカの暮らしも楽になるであろうと村の人々も安心します。

  

しかし佐代助は、働きはするものの、そのお金をお酒と博打に使ってしまうような人間でした。

  

シカの稼いだお金でさえ佐代助のお酒と博打に消え、かえって苦労が増えたと言われました。

  

彼は彼で理由がありました。

  

会津戦争にて人間同士の殺し合いを目の当たりにし、その恐怖を酒とギャンブルで紛らわせていたそうです。

  

その証拠に、人にはめっぽう優しく、決して暴力を振るわず、子供からは好かれていたそうです。

 

  

二人の子を授かる

1874年、二人の間に女の子が生まれます。

 

戌年に生まれた縁起を担いで、イヌと名付けられます。

  

その二年後、シカは男の子を出産します。

 

名を清作(せいさく)と言い、この子が後の野口英世となります。

 

続く…

次回「少年、野口清作前編」

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