【国富論⑤】収入をもたらし得る資材=資本~流動資本と固定資本~

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【前回記事】

    

この記事ではアダム・スミス国富論を読み解いていきます。

    

見えざる手、自由放任主義……、どこかで聞いたことがこれらの言葉はここから生まれてきました。

    

経済学の始まりともいえる彼の著書を通して、世の中の仕組みについて理解を深めていただけたら幸いです。

    

前回は、富と資本について触れていきました。

     

あるジャンルに大量の資本が投じられると、その分野で競争が起こり、利潤は下がるものの労働者の賃金は上昇する傾向にある。

 

適正な率の利子によってお金の貸し借りが円滑に行われるようになり、国の富につながる。

    

賃金には5つの性質がある……。

 

など富、資本、賃金についてまとめていきました。

 

今回のテーマは“資材と資本”についてです。

 

この第二編の序章においてスミスは、「分業というものがなく、物の交換も行われていなかった未開状態の社会では、自分が必要とする以上に生産物を蓄積することはなかった」と述べています。

 

分業によって必要以上の生産物が蓄積されると、それは資材となって文明社会を行き来することになります。

 

では資材とは一体何のことなのか、どのような影響をもたらすのか……。

 

以下にまとめていきます。

 

   

資材の分類

〜引用 第二編 一章より~

 

ある人が所有する資材がその人を数日または数週の間しか扶養するに足りない場合には、彼はそれから収入を引き出そうなどとはめったに考えないものである。

 

しかし、この人が自分を数ヶ月または数年の間、扶養するにたりる資材を所有する場合には、彼はその大部分から収入を引き出そうと自然に努力し、自分の直接の消費のためには、この収入が入るようになるまで、自分を扶養しているだけの者を留保しておくのである。

 

それゆえ、彼の資材は二つの部分に区別される。

 

すなわち、彼が自分に収入をもたらしてくれるものと期待する部分は、彼の資本と呼ばれる。

 

他の部分は彼の直接の消費を充足するものである。

 

〜引用ここまで〜

 

分業がおこる前の社会では、必要なものを必要な分だけ生産していたことから、資材という剰余物は意識されていないことが示されています。

 

社会が形成され分業が確立されていくと、そこには物を価値ある者として認識し、交換し合う習慣が現れます。

 

そんな中で人は、少しの資材では収入を得ようとは考えませんが、ある程度の余裕がでてくると、余剰分の資材で収入を得ようと自然に努力するとスミスは言っています。

 

その中でも、収入をもたらし得る資材のことを“資本”と読んでいます。

 

 

流動資本と固定資本

18世紀後半に発明されたホイットニー機織り機

〜引用 第二編 一章より~

 

資本がその使用者に収入、または利潤をもたらすように使用されるには二つの異なった方法がある。

 

第一にそれは財貨を調達し、製造し、又は購買し、さらに利潤を得てふたたび得るのに使用される。

 

こういうふうに使用される資本は、それが利用者の所有にとどまるか、または同一形態にとどまるかのいずれかをする間はその使用者に何の収入または利潤をもたらさない。

 

商人の財貨は、彼がそれを貨幣と引き替えに得るまでは彼に何の収入ももたらさないし、またこの貨幣にしても、それが再び財貨と交換されるまでは、同様に彼に何の収入ももたらさない。

 

彼の資本は常にある一つの形態で彼の手を離れ、もう一つ別の形態でその手に帰ってくるのであって、それが彼にある利潤をもたらすことができるのはこのような流動、つまり継続的交換のおかげによってだけなのである。

 

それゆえ、このような資本は極めて適切に流動資本と呼ぶことができるであろう。

 

第二に、それは土地の改良に使用されるし、有用なら諸々の機械や職業上の用具の購入にも使用される。

 

言い換えればそ、れは主人を変えることなしに、つまりもうそれ以上流通することなしに、収入または利潤をもたらすような諸物に使用されるのである。

 

それゆえ、このような資本は極めて適切に固定資本と呼ぶことができるであろう。

 

~引用ここまで~

 

資本が所有者に対してどのような形で利益を与えるのかをまとめている章です。

 

例として、商人の資本は全て流動資本だといいます。

 

商人が所有する店舗には農具や生活用品などが多くの商品が存在します。

 

しかし商人にとってそれら商品は職業上必ず必要であるものではありません。

 

売買によって金銭的な利益になったり、その利益で新たな仕入れをするなど、使用者にとって形を変えていきます。

 

だから商人の資本は全て流動資本というわけです。

 

では固定資本はどのようなものがあるのでしょう?

 

農業者にとっては農業用具は固定資本です。

 

羊群や牛群なども固定資本です。

 

これら用具や役畜によって得られた農作物や羊毛、ミルクなどの収穫物は流動資本になり、この流動資本を手放すことで利益を得ることができます。

 

どのような固定資本も、流動資本を媒介とせずに収入をもたらすことはできない、とスミスは主張しています。

 

 

国や社会資本

〜引用 第二編 一章より~

 

ある国の、または社会の総資材は、そのすべての住民、または成員のそれと同じであり、したがって、また自然にそれ自体を同じ三部分に分割するのであって、その各々は個別の機能つまり役目を持っているのである。

 

第一は直接の消費のために留保される部分であって、その性質はそれが収入または利潤を全く生じないということである。

 

第二は固定資本であって、その特質は、それが流通することなしに、つまり主人を変えることなしに収入、または利潤をもたらすということである。

 

第三は流動資本であって、その特質は、それが流通することによって、つまり主人を変えることによってのみ、収入をもたらすということである。

  

〜引用ここまで~

 

スミスは、社会における資材も、個人の資材と似たようなものであると述べています。

 

①直接消費

→食料品、賃料、生活用品など

 

②固定資本

→土地、機械、店舗、倉庫、個人やコミュティが身につけた有用な能力など

 

③流動資本

→貨幣、販売者が所有する食料品の貯蔵、衣服や建築物の材料、商人が持つ完製品など

 

固定資本と流動資本両方の目的は、消費のために留保される資材を維持、増加させることです。

 

特に固定資産は、労働の生産力を増進するものです。

 

固定資産が安価になったり、単純化され、これまでの仕事の効率を上げるものになるほど、有利だと考えられています。

 

この資財が個人の衣食住を保証し、資材の大小が貧富の差を表しているとしています。

 

  

個人の資本と国の資本

〜引用 第二編 二章より~

 

ある大国での固定資本の維持は、私人の所有地での修理費になぞらえるのが極めて適切であろう。

 

修理費は、所有地の生産物を維持するために、従って地主の総地代と純地代との双方を維持するために、しばしば必要とされるであろう。

 

けれどもいっそう適切な管理によって、生産物の減少を全然引き起こさず修理を軽減することができるならば、総地代は少なくとも従来と同じままでありながら、純地代は必然に増加するのである。

 

しかしながら、たとえ固定資産の全維持費は、以上のように必然に社会の純収入から除外されるにしても、流動資本の維持費については、これとは事情が違う。

 

この後者の資本を構成する四部分、つまり貨幣、食料品、材料、および完製品のなかで、最後の三者は、この中から定期的に引き上げられ、社会の固定資本か、または直接の消費のために保留される資材かのいずれかに繰り入れられる。

 

これら消費可能な資材中で、およそ前者(固定資本)を維持するのに使用されぬものは、全て後者(流動資本)に帰し、社会の純収入の一部になるのである。

 

〜引用ここまで〜

 

・総地代=農業者によって支払われた全額のこと

・純地代=経営費、修理費など費用を差し引いた後、地主の自由処分に任されたもの

 

先ほど、社会における資材も個人の資材と似たようなものである、と書きましたが、違いもあります。

 

スミスは、「固定資本の維持費は所有地の修理費のようなものだが、流動資本である食料品、材料、製品の維持費は差し引かれない」とし、この点で個人と社会の流動資本が違うと述べています。

 

また、余った食糧や製品が国の富として蓄積されていくことも分析しています。

 

 

まとめ

・直接消費する以上の資材があると、余った資材から収入を引き出そうとする

・収入をもたらす可能性のある資材=資本

・資本には流動資本と固定資本がある

・流動資本=所有者の手を離れ、交換によって利益を得ることができる可能性のある資本

・固定資本=農具や機械など所有者が変わらない資本(流動資本を効率的に生産する目的がある)

・国としての資本も上と同じようなものとなる

 

以上、資材と資本についてのまとめでした!

 

特に農業は、資材を考える際にとてもわかりやすい例になります。

 

自分や自分の家族を賄う分以上の作物は、他の何かと交換できる価値を持つ資材になります。

 

もちろん利益を得ることも可能なので、資本と言えますね。

 

自分はこれを、農業などの生産物に限った話ではないと考えています。

 

例えば物ではなく何らかスキルを持っている場合、自分を満足させたスキルは資本になる可能性を秘め、他人をも満足させることができるかもしれません。

 

絵を描くスキルであれば、最初は自己満足で描いていた絵を、他人に依頼されて描くようになったり。

 

映画を観るスキルであれば、それをオススメするレビュアーとなって紹介したり。

 

音楽のスキルであれば、自分の好きな感性で曲を作ったり演奏したりして、それを他人に届けて心を揺さぶったり。

 

ブログ、動画配信などSNSをはじめとするインターネットを通じて、自分を満たすものを誰かに届けることができる時代です。

 

また絵を描くための教材、映画のネタやレビューサイト、楽器のレクチャーや作曲アプリ……。

 

かつての時代ではその道を歩こうとしても手にできなかった教材が、スキルを磨くために必要な固定資本が、いとも簡単に手に取ることができます。

 

誰かのためではなく、自分を満足させてくれるという基準でスキルを磨いてみるのも、自分だけが持つ新たな資本の発見につながるかもしれませんね!

 

さて次回の国富論は“貨幣”についてのお話。

 

資材が文明社会を巡る際、それを媒介する貨幣というものの存在が浮き彫りになります。

 

アダム・スミスは、国の総資材の中でも貨幣特殊な部門であると述べています。

    

一体どのような点で特殊と言えるのか……。

 

国富論から分析をまとめていきます。

 

【次回記事】

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