人間の思い上がりと神の怒り~バベルの塔~

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ノアの子孫

ヤーコプ・ファン・デル・ウルフト作「バベルの塔」1689年

 

世界が大洪水にのまれてしばらく経った後の物語。

  

ノアの子孫たちは東メソポタミアのシンアルという場所に定住していました。

 

彼らは祖先が同じであることから、共通の言語を使って生活していました。

  

言葉による情報の蓄積によって、農業をはじめ政治や文化も豊かになり、高度な文明を築くことができていました。

 

  

バベルの塔と神の怒り

ブリューゲル(父)作「バベルの塔」1564年

  

やがてシンアルの人々は、自分たちの権力を誇示しようと天まで届く“バベルの塔”の建設しようと考えました。

  

この思い上がりを神は許しませんでした。

 

神は、“彼らの思い上がりは、共通の言葉によって企みが増していったのだ”と考え、今までにない言語をシンアルの人々に与えました。

  

お互いの言葉が聞き分けられないシンアルの人々は、塔の建設をやめ、同じ言葉を話す者同士が集まり各地に散っていったと言います。

 

このことからヘブライ語でバベル(balal)ごちゃまぜ混乱させるという意味があるそうです。

 

  

別の解釈

(c) Glasgow Museums; Supplied by The Public Catalogue Foundation

  

また別の解釈では、ノアの玄孫のニムロデ(ニムロド)による神の怒りへの対策とも考えられています。

  

ニムロデは「神に絶対服従することは奴隷になることと同じである」と言い、それに共感した民たちによってバベルの塔が建設されたと言います。

  

ノアの方舟に記されるような洪水によって地上が水没した場合でも、人が生きていけるよな居住区を作ろうという試みだったようです。

  

何れにしろ結果同じでしたが、この物語によって世界に多くの言葉を話す人々がいる理由を説明しようとしたのですね。

 

 

美術としてのバベルの塔

  

バベルの塔が描かれ始めた当初は、細長い塔と階段で構成された絵が多く存在していました。

   

ときが経ち、コルネリス・アントニスゾーンらによってローマのコロッセオをモチーフに塔が描かれるようになってからは、円錐や四角錐の形をしたバベルの塔が人気を集めるようになりました。

  

コルネリス・アントニスゾーン作「バベルの塔の崩壊」1547年
コルネリス・アントニスゾーン作「バベルの塔の崩壊」1547年

  


 

ブリューゲル(父)作「バベルの塔」1563年
ブリューゲル(父)作「バベルの塔」1563年

  

中でも特に有名な絵は、後期フランドル期にブリューゲルによって描かれたバベルの塔です。

  

別名大バベルと呼ばれています。

  

ブリューゲルがローマ滞在中に描かれ、建築ラッシュの街の風景を参考に描いたとされています。

  

左下の人集りにある石にはブリューゲルのサインが刻まれています。

  

ブリューゲル(父)作「バベルの塔」1564年
ブリューゲル(父)作「バベルの塔」1564年

  

またブリューゲルは同じ構図の作品をもう一枚描いています。

  

小バベルと呼ばれるこの作品は、一枚目のバベルの塔の絵と比べると半分くらいの大きさになります。

  

大バベルに比べ周りが質素に描かれ、塔の壮厳さが強調されて作品です。

  

ブリューゲル以降はコロッセオ型のバベルの塔が主流になっていきました。

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