狂王と呼ばれた男 後編~ルートヴィヒ2世~

歴史
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の続き…。

 

ドイツ統一

引きこもりと言えど国王。

 

周りのドイツ、フランス情勢が彼を現実に引き戻します。

 

この頃、普墺戦争に負けたバイエルン王国は敗戦国として賠償金を請求されていました。

 

更にプロイセン王国主導とする北ドイツ連邦が、バイエルン王国を含めてドイツを統一しようと迫ってきたのです。

 

 

ルートヴィヒ二世の国家思想

ルートヴィヒ
ルートヴィヒ

発展した文化でドイツを牽引する。

プロイセン主導による暴力的なドイツ統一にルートヴィヒ二世は反対をしていました。

ルートヴィヒには、

「美術や芸術など文化が発展したバイエルン王国が諸国(諸邦)から尊敬されることでドイツは一つになるのである。」

という思想があり、人々が血を流し合う戦争には断固反対の姿勢をとっていたのです。

 

プロイセン宰相ビスマルクは普墺戦争前にルートヴィヒと対面した際、彼の堂々とした態度や思想に好感を持ち、ベルリンの執務室には彼の肖像画を飾ったそうです。

 

 

ビスマルクの資金援助とエムス電報

ビスマルク
ビスマルク

このお金で好きな城を建てるがよい。

ビスマルクが考えるドイツ統一には、フランスが邪魔で仕方ありません。

 

フランスとの戦争で勝つ為にはバイエルン王国の支援が不可欠です。

 

彼はルートヴィヒ二世がノイシュバンシュタイン城の建設計画が頓挫していることを聞き、名目上はバイエルン王国への支援として資金援助をします。

 

更にエムス電報事件という、フランス国王の手紙を嘘にならない範囲で改変することで、フランスに対する敵対感情を煽ることに成功します。

 

バイエルン王国もフランス憎しの感情を爆発させた国の一つでした。

 

こうして国民の扇動もあり、ルートヴィヒは普仏戦争への参加を認めることになってしまうのです。

 

 

戦争中も続く築城

普仏戦争の最中、ビスマルクの資金援助もあったことで、ルートヴィヒの夢の城も徐々にでき上がっていきます。

 

一番最初着工を命じたノイシュバンシュタイン城が7割程出来上がる前には、リンダーホーフ城が完成、ヘレンキームゼー城もほぼ完成に近づいていました。

 

夢の城完成まであと一歩です。

 

しかし、彼の夢はリンダーホーフ城の完成で止まってしまうのです。

リンダーホーフ城

 

 

狂王ルートヴィヒ

1870年、普仏戦争はプロイセン側の勝利で終わりました。

 

バイエルン王国も戦勝国となりドイツも統一されます。

 

しかし、普仏戦争でのショックから弟のオットーが精神に異常をきたすようになります。

 

いずれは自分も精神をきたすであろうという不安に苛まれた末、ルートヴィヒ自身も異常をきたしたかのように振る舞い始めます。

 

完成したリンダーホーフ城内の彫刻に話しかけたり夜中にこっそり遊んだりと、日が経つにつれて異常さは増してきました。

 

いつしかルートヴィヒは国民から、狂王、メルヘン王と言われるようになっていきます。

 

 

ルートヴィヒの王位はく奪

ルートヴィヒのあまりもの異常さに家臣や国民は、彼に王は務まらないとの考えが強まっていきました。

 

その結果彼は精神鑑定にかけられ、ベルク城に幽閉されることが決定します。

 

殺すつもりはないが、内政に干渉されるのも良くないという考えのもとでした。

 

ルートヴィヒ二世は廃位し、弟のオットーが次期バイエルン王になりますが、実際の政務は叔父のルイトポルトが取り仕切るようになります。

ルイトポルト・フォン・バイエルン

 

 

ルートヴィヒの死

ベルク城幽閉の翌日、ルートヴィヒは担当医と共にシュタルンベルク湖にて水死体で発見されます。

 

自殺か他殺か、あるいは夢の世界へ入り込んだのか…、今現在でも彼の死は未だ謎のままです。

 

彼が望んだ芸術によるドイツ統一はかないませんでしたが、変わりに後世に親しまれる名城を残していきました。

 

ルートヴィヒ二世が水死体で発見されたシュタルンベルク湖には、十字架が立てられています。

シュタルンベルク湖 – Wikipedia より

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