【記事まとめ】鉄血宰相ビスマルク 

歴史
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全8回でまとめたドイツ帝国宰相ビスマルク。

  

この記事では、彼について書いた記事をまとめていきます。

  

外交の天才が如何にドイツをまとめ上げていったのか、なぜフランスと仲が悪くなったのか…。

  

それぞれポイントをピックアップして書いたつもりです。

  

これを読めば、ビスマルクが少し身近に感じられるようになるかも知れません。

   

鉄血宰相と呼ばれた男~ビスマルク①~

ビスマルクのスパルタ幼少期から、喧嘩とギャンブルに明け暮れた青年期を経て、妻ヨハナと結婚。

喧嘩屋と呼ばれたビスマルクはここから政界に進出していきます。

 

 

喧嘩屋オットー、政界に進出する~ビスマルク②~

大物政治家に度胸を見込まれ、保守派の州議会議員に。

しかし政敵である自由主義派が力を強め、各地で革命活動が頻発。

自由主義派がドイツ統一を進めて行こうとしますが難航。

革命が収まった後、ビスマルクに白羽の矢が立ちます。

  

  

鉄血宰相の誕生~ビスマルク③~

プロイセン大使としてドイツ連邦議会に赴いたビスマルクは、議長国であるオーストリアに喧嘩を売ります。

オーストリアを徹底批判し、孤立させることに成功します。

これによって鉄血外交を振るうビスマルクの名が、各国に知れ渡るようになりました。

  

 

鉄血政策!~ビスマルク④~

軍備拡張を自由主義に邪魔されながらも、憲法の穴をついて軍拡予算案を通すビスマルク。

工業化を推し進め鉄道を張り巡らせ、軍の装備も十分に整ったところで、オーストリアをドイツ連邦から除外することを宣言。

これに反発したオーストリアがプロイセンに宣戦布告。

普墺戦争が始まります。

 

  

ケーニッヒグレーツの戦い!~ビスマルク⑤~

参謀総長モルトケによる、鉄道と電信と武器の強化により大国オーストリアを圧倒。

僅か7週間でプロイセンが勝利します。

これによってオーストリアは、プロイセンのドイツ統一に一切口出しができなくなりました。

  

  

鉄血外交ここに極まれり~ビスマルク⑥~

進むドイツ統一に待ったをかけたのが、隣国フランスの存在でした。

そこでビスマルクは、スペインの王位継承問題とメディアを利用し、フランスからプロイセンに宣戦布告させるよう仕向けます。

これによって普仏戦争が勃発することになります。

  

  

普仏戦争開戦~ビスマルク⑦~

ほぼ全ての戦場でプロイセン側の勝利。

銃ではフランス軍が勝っていたものの、工業化を推し進めていたプロイセン軍は、あらゆる面でフランスを凌駕していました。

 

 

遂に統一!ドイツ帝国の誕生~ビスマルク⑧(終)~

遂に、ナポレオン三世を捕虜にするという大戦果を上げたビスマルク。

フランスのヴェルサイユ宮殿にてドイツ統一を宣言。

遂にドイツ帝国が成立しました。

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