「オーストリア皇太子夫妻が殺された」だけではもったいない~サラエボ事件(後半)~

歴史
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の続き…。

 

皇太子夫妻としてサラエボの視察の許可が下りたフェルディナントとゾフィ。

 

日にちは結婚14周年である1914年6月28日。

 

この6月28日という日が悪夢を引き起こしてしまいます。

 

まずは今回の話で重要な立ち位置にいる、とあるテロ組織についてです。

 

テロ組織「黒手組(ブラックハンド)」

ディミトリエヴィチ
ディミトリエヴィチ

セルビア国王を殺す!

1878年、ベルリン条約によりオスマン帝国からの独立を認められたセルビア王国。

 

建国当初はオーストリア(当時はオーストリア=ハンガリーの二重国家)とも親和的な関係を持っていました。

 

しかし、その後のセルビア国王の独裁的な政治に不満を持った、セルビア陸軍大佐のドラグーティン・ディミトリエヴィチらによって、国王と王妃らが殺害されててしまう事件が起こります。

 

この革命の後、別の人物がセルビアの国王となり政治を行います。

 

そして首謀者のディミトリエヴィチは、秘密テロ組織「黒手組」の指導者になりました。

 

黒手組の紋章

 

新しく国王が変わったセルビア王国は、今までのオーストリアとの関係とは逆に、当時オーストリアと敵対関係のあるロシアに親和的になりました。

 

その結果オーストリアに反抗的な態度をとるようになっていくのです。

 

テロ組織「黒手組」はこれに共鳴するように、オーストリアに統治されているセルビアをセルビア人のための国にするという大義名分のもと行動していくのでした。

 

黒手組
黒手組

憎きオーストリア皇帝ヨーゼフを暗殺するぞ!

1911年、黒手組はオーストリア帝国皇帝ヨーゼフ一世を亡き者とするため、暗殺計画を立てるも失敗に終わります。

 

ヨーゼフ一世の警護が厳しくなったのをみて、次なる標的を皇位継承者のフェルディナント大公に定めるのでした。

 

セルビア政府はこのフェルディナント暗殺計画を知っており、黒手組のメンバーが動きを見せた際にはすぐに逮捕するよう命令をだしていました。

 

しかし、テロリストたちの行動が予想以上に早く、セルビアの捜査網をくぐり抜けサラエボに到着してしまったため命令が実行されることはありませんでした

 

サラエボ事件①

1914年6月18日、そうとは知らずサラエボに視察に来たフェルディナント夫妻

 

午前10時をまわったころ、街中に大きな爆発音が響き渡ります。

 

サラエボ庁舎に向かうフェルディナント夫妻の車に向かって、爆弾が投げられたのです。

 

黒手組の暗殺者ネデリュコが投げた爆弾は、夫妻の乗ったオープンカーの帆に当たって跳ね返り、車両付近で爆発します。

 

負傷者こそ出たものの、2人は無事でした。

 

テロリストたちの計画は失敗に終わったのです。

 

これに対しフェルディナント公は、

フェルディナント
フェルディナント

爆弾を投げつけるのが君たちの歓迎の仕方なのか!

と怒ったそうです。

 

サラエボ事件②

午前中の爆弾騒ぎの後、午後の予定を変更し、負傷した人の見舞いに行くことにしたフェルディナント一行。

 

しかし予定の変更が運転手には知らされておらず、当初の予定だった視察ルートを進んでしまいます。

 

フェルディナントの指摘に、慌てて道を変えようと車のスピードを緩めた瞬間…。

 

そこには、黒手組のセルビア人暗殺者ガブリロ・プリンツィプが待ち受けていたのです。

ガブリロ・プリンツィプ

プリンツィプが放った銃弾は、ゾフィの腹部に命中。

 

その後、フェルディナントの首元に銃弾が撃ち込まれます。

 

プリンツィプはすぐさま警察に取り押さえられますが、夫妻の傷は深刻なものでした。

 

フェルディナントは撃たれてすぐには会話ができたようですが、自分の死期を悟ると、

フェルディナント
フェルディナント

ゾフィ、ゾフィ、お前は死ぬな!子どもたちのために!

 

という言葉を残し死んでいったそうです。

 

これが、「オーストリア皇太子がセルビア人青年に殺害された」といわれるサラエボ事件です。

 

これをきっかけに、オーストリア皇帝ヨーゼフはセルビアに宣戦布告。

 

米英仏露伊独を始めとする関連諸国、そして日本までをも巻き込む第一次世界大戦が始まっていくことになるのです。

 

最後に

皇帝ヨーゼフの血統にこだわる姿勢と、フェルディナントの愛する人にこだわる姿勢も、ある意味血は争えないなのかなと感じる事件でした。

 

フェルディナントとゾフィの死を聞いたヨーゼフは、「天罰が下ったのだ」と悲しむ様子すら見せなかったそうです。

 

むしろ、自分の帝国の領土を広げるきっかけができると喜んだのではないでしょうか。

 

因みに、既に生まれ育っているゾフィの子ども達は、フェルディナント継母マリア・テレジアが預かり育てたそうです。

 

豆知識~グレゴリオ暦、ユリウス暦~

黒手組がオーストリア皇太子を暗殺する動機がもう一つあります。

 

それが6月15日の戦争(国恥)記念日です。

 

14世紀に起きたコソボの戦いにて、セルビア公国がオスマン帝国に大敗した戦いを忘れないために、黙祷を捧げる日でもありました。

 

しかし、サラエボ事件は6月28日…。

 

これにはグレゴリオ暦とユリウス暦が関係しています。

 

【ユリウス暦】

ユリウス暦はかつてヨーロッパで使わていた、一年を365.24日と計算された暦です。

 

4年に一度の閏年にて0.24日の誤差を修正します。

 

【グレゴリオ暦】

グレゴリオ暦は、現在の私たちが使っている暦で、一年を365.2422日と計算されています。

 

正確に計算されたグレゴリオ暦は、4年に一度の閏年(366日)に加え、100の倍数年は閏年であっても365日として計算します。

 

更に言うと、400の倍数年は問答無用で閏年にするという調整もされます。

 

つまりユリウス暦とグレゴリオ暦による日にちのズレが、意図せずセルビアの恥国記念日と重なってしまったというワケですね。

 

そんな日に皇太子が視察に来ると言われて、手をこまねいている「黒手組」ではなかったのです。

 

なんとも認識の違いが生んだ悲劇でした…。

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