【前回記事】
ガラパゴスゾウガメ
イグアナの次にダーウィンが目についた生物は、この島固有のカメであるガラパゴスゾウガメでした。
スペイン語でカメ(ゾウカメ)をGalápago(ガラパゴ)と言い、ゾウガメの島というところからガラパゴス諸島の名前の由来となっています。
捕鯨船や海賊船が島に上陸するようになってから島固有のカメたちは激減し、現在では絶滅危惧種として保護されています。
ゾウガメは水場で水分を補給すると何週間も水を飲まずに生きることができます。
このため、船乗りがゾウガメを大量に捕獲し、航海中の新鮮な肉としても扱われていました。
実際、この時のダーウィンたちの食事もほとんどゾウガメで、どうやら甲羅で焼いた若い個体のスープは美味だったようです。
島民の話によると、ガラパゴスゾウガメは島によって種類が違うらしいことが分かりました。
これは、島によって形質が違う生物が進化することを示すものでした。
しかし、ダーウィンはその言葉を信じることができませんでした。
理由は、彼が「この島のゾウガメがインドから持ち込まれたものに違いない」と思い込んでいたからです。
というのも、本土から島に入植する者たちの中には、ヤギやイノシシを持ち込んで繁殖させる者もおり、このゾウガメもそういった類のものであると考えていたのです。
そのため、もっとじっくり観察すればそれぞれの違いに気づいたかもしれなダーウィンも、サンクリストバル島とサンチャゴ島の一部、それも同じ種類の甲羅のゾウガメを観察するのみで終わってしまいました。
このほかにも、乾燥した地域には、サボテンの葉や高所にある多年生の木の葉や枝を食べるために首を長く伸ばせるように甲羅が変形した種もいたりしましたが、それに気付くことはありませんでした。
種の変化と創造論の否定
およそ五週間をかけて島々を観察したダーウィンは、数百種類の植物をはじめ、魚類や鳥類、昆虫を捕獲、採集していきました。
一部を除き、ほとんどがガラパゴス固有のものでした。
しかし、海洋島であるこの島々の生物は自然に発生したわけでなく、何らかの共通の祖先があるはずです。
彼のこれまで辿ってきたパタゴニアやチリの観察から、アメリカ大陸とガラパゴス諸島の動植物との間に類縁性があることは明らかでした。
つまり、何らかの方法でアメリカ大陸からそれぞれの祖先が自然の助けを借りて海を渡り繁殖してきたということです。
神が生物を創造したのであれば、そんな類縁性は必要なく、ただ単一の種を配置すればいいだけです。
ましてやアメリカ大陸の一部だったわけでもない海洋島のガラパゴス諸島に固有の生物がいるということは、まさしく生物が変化してきた証でもあるのです。
ガラパゴスフィンチとの出会い
続けてダーウィンは、この島々でガラパゴスフィンチという鳥を複数捕獲しました。
この鳥は、ガラパゴス諸島各地に生息する小型の種で、植物の種子や落ちた実、木の葉や花、小さな昆虫など多様な食性を有しています。
この小さな鳥はガラパゴス諸島の様々な場所で見受けられますが、島や環境ごとに特徴が異なっています。
植物の種子を食べる種はクチバシが小さく、堅い殻を食べる種はクチバシが太く力強い。
サボテンの花粉や花の蜜を食べる種はクチバシが先に尖っていたりもします。
現在ではおよそ15種類がガラパゴス諸島に生息し、すべての種が共通の祖先から分かれたことが分かっています。
ダーウィンはそんなフィンチの多様性に気付き、生物の進化のヒントを得ていた……、わけではありません。
実は彼はこのとき、ガラパゴスゾウガメ同様にこの生物の重要性に気づいていませんでした。
というのも。ガラパゴスフィンチは同じ種同士でも、大・中・小の種に別れるだけでなく、クチバシの変化度合いについても、微妙に変化している種や、変化が分かりやすい種などグラデーションションがあります。
数ヶ月の滞在で、しかも初見で見分けることは容易ではなかったのです。
ダーウィンはガラパゴス諸島のうち、サン・クリストバル島、フロレアナ島、イサベラ島、サンティアゴ島の順に上陸しました。
3番目のイサベラ島ではフィンチを見飽きたからか一羽も捕獲していませんでした。
実はこのイサベラ島にある数少ない泉には、その島に生息するあらゆる種類のフィンチが集まるのですが、そんなことなど知るよしもありませんでした。
フィンチの重要性に気付いたのは帰国後で、鳥類学者のグールドが種の同定を依頼した際、グールド自身が発見したことによるものでした。
この発見によってダーウィンは、進化論に確信をもつようになるのですが、それはまた後のお話になりそうです。
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